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レニエ家 : ウィキペディア日本語版
レニエ家[れにえけ]
レニエ家(レニエけ、:Famille des Régnier, :Reginare)は、ロタリンギア発祥のカロリング朝時代以降から14世紀まで現在の北フランスベルギーおよび南オランダを領した貴族の家系。ロレーヌ公およびエノー伯ブラバント公ヘッセン方伯を出した。
== 歴史 ==

=== ロートリンゲン大公 ===
910年、ロートリンゲン大公ゲープハルト(後のドイツ王コンラート1世の叔父)が戦死したロートリンゲン(ロレーヌ、ロタリンギア)において、エノー伯レニエ1世は親西フランク派リーダーとして、親東フランク派と対立した。最終的に親西フランク派が勝利し西フランク王シャルル3世がロタリンギア王となり、ドイツ王コンラート1世はロートリンゲンにおける家領を失った。その後、ロートリンゲンでは有力者間の対立から、東西フランク両王家の戦いが再び勃発し、921年にはいったん休戦したが、西フランク王国で王位争いが勃発し混乱する中、レニエ1世の子ギゼルベルト(2世)は東フランク側につくに至った。925年にロートリンゲンを東フランク側に取り戻したドイツ王ハインリヒ1世は、ギゼルベルトを改めて正式にロートリンゲン大公に任じるとともに娘ゲルベルガを嫁がせ、関係を深めた。しかし939年、ギゼルベルトは皇帝オットー1世の弟ハインリヒを支援してオットー1世に対抗し、同年戦死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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