|
レネ・ゲイヤー (''Renée Geyer''、1953年9月11日-)は、オーストラリアの歌手。ソウル・ミュージック界で、またポップソングでのヒット曲でも知られている。 == 来歴 == メルボルン生まれ。1970年代前半にジャズバンド''Dry Red and Sun''にボーカリストとして加わり、歌手としてのキャリアをスタートした。彼女が脱退する1972年までの間に、バンドはアルバムを1枚リリースしている。その後いくつかのバンドを渡り歩いた後の1974年、レネは自身初のソロアルバム『''It's A Man's Man's World''』を発表した。ジェームス・ブラウンの曲をカバーしたタイトルナンバーは、彼女初のシングルヒットとなった。更に1976年には「''Heading In The Right Direction''」がヒットチャートのランク20位内入りした。1975年にはオーストラリア選挙の際、同国自由党のキャンペーン・テーマ『''Turn On The Lights''』を主題とした曲を歌った。この選挙で自由党は政権を奪還し、同曲は1972年に労働党が与党となった時のキャンペーン・テーマ『''It's Time''』と並び有名なプロパガンダとなった。 1976年発売のアルバム『''Moving Along''』とシングルカット曲「''Stares and Whispers''」は彼女最大のヒットを記録し、ラジオで頻繁に曲が流れた事もあってアメリカでも注目されるようになった。契約していたRCA社は、アメリカでのアルバム発売に当り、黒人的な印象を与える歌声と白人である彼女の姿とのギャップを恐れ、知名度が上がるまでは経歴を隠し写真をジャケットに使わないよう進言した。これを、頑固で直情的なレネはまやかしと受け取り、後に彼女自身が言うところの「私のデカい赤ら顔」が載った写真をジャケットに使うよう押し通した。こうしてアルバムは発売されたが、レコード会社が憂慮した通りアメリカでの彼女に対する興味はすぐに沈静してしまった。この出来事からレネは音楽産業の難しさを痛感し、自分の昏迷さを反省した。後の数年間、彼女はロサンゼルスでセッション・ボーカリストとしてキャリアを積んだ。 1980年にレネはMushroom Recordsと契約してアルバム『ソー・ラッキー - ''So Lucky''』を発売。これは長らく身につけていたブルースやジャズだけではなくサルサやレゲエ を取り入れたものだった。シングルカットされた「''Say I Love You''」はオーストラリアチャートのベスト5入りし、彼女の最大のヒット曲となった。 その後は、セッションミュージシャンとしてスティングのアルバム制作などに加わっていたが、1999年に久しぶりとなるソロアルバム『''Sweet Life''』を発表。続く『''Tenderland''』は初めてARIA Awardにノミネートされた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レネ・ゲイヤー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|