翻訳と辞書
Words near each other
・ レノン (イタリア)
・ レノン (フランス)
・ レノン (ボックスセット)
・ レノン (小惑星)
・ レノン/マッカートニー
・ レノン=マッカートニー
・ レノン・マッカートニー
・ レノン・レジェンド
・ レノン・レジェンド〜ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ジョン・レノン
・ レノン・レジェンド~ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ジョン・レノン
レノン=マッカートニー
・ レノヴァ
・ レノヴァ鹿児島
・ レノヴォ
・ レノ・ベルトイア
・ レノーア
・ レハバム・ゼエビ
・ レハブアム
・ レハール
・ レハール・フェレンツ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

レノン=マッカートニー : ミニ英和和英辞書
レノン=マッカートニー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

レノン=マッカートニー : ウィキペディア日本語版
レノン=マッカートニー[ちょうおん]
レノン=マッカートニーLennon-McCartney)は、ジョン・レノンポール・マッカートニーが楽曲の作詞・作曲において使用した、共同で使っていたクレジットの通称。
== 解説 ==
ザ・ビートルズの楽曲のうち約8割がレノン=マッカートニー名義の作品である。ザ・ビートルズ時代には、ジョンもしくはポールのどちらかが単独で曲を作った場合でもこのクレジットを使用した。「レノン / マッカートニー」、"Lennon / McCartney"、"Lennon, McCartney"、"John Lennon - Paul McCartney"、"John Lennon & Paul McCartney"等、表記のされかたは数パターン存在する。
1980年、ジョン・レノンは「ポールとぼくは、15のときに、取り決めをつくったんだよ。法律的なものじゃないんだけれども、協力して曲を書こうって決めたとき、それが何であっても、ふたりの名前で出すことにするって取り決めをね」と語っている〔『PLAYBOYインタビュー ジョン・レノン』、集英社(112頁)〕。デビュー前に2人が作った曲としては、「ワン・アフター・909」、「アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ」などが挙げられる。
デビュー・シングル盤「ラヴ・ミー・ドゥ / P.S.アイ・ラヴ・ユー」は「レノン / マッカートニー」("Lennon / McCartney")。2枚目「プリーズ・プリーズ・ミー / アスク・ミー・ホワイ」と3枚目のシングル「フロム・ミー・トゥ・ユー / サンキュー・ガール」およびアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』のクレジットは「マッカートニー=レノン」("McCartney / Lennon")、アルバム『ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」では "JOHN LENNON AND PAUL McCARTNEY" と表記されている。
当初は、作詞・作曲への貢献度が高い方の名前を先に入れるようにしていたが、それも徹底したものではなく、結局、1963年に「アルファベットでは、LMの前に来る」という単純な理由により、貢献度に関係なくレノンの名前を先に入れることになった。
作詞・作曲の過程や、2人の貢献度の割合は楽曲によって大きく異なる。例えば、「ミッシェル」の場合、ポールが「こういう曲を作ってみたんだけど、どうも何かが足りない」とジョンに相談した。すると、ジョンが「コーラス部分をサビにしてみたらどうだ」というアイデアを出し、曲が完成した。結局、この部分が同曲の中で最も印象的なフレーズになった(他の楽曲については、ビートルズの作品を参照)。
ポールのライブ・アルバム『バック・イン・ザ・U.S. -ライブ2002』のライナー・ノーツでは、同アルバムに収録されているレノン=マッカートニーの作品のすべての作曲者名を"Paul McCartney and John Lennon"と表記した。これについて、オノ・ヨーコがポールへの提訴を検討するという報道があった〔。しかし、ポールがソロで歌う場合、特にジョンが実際には作詞・作曲に全く関与していなかった曲(「イエスタデイ」など)に関しては、名義を逆にしても良いという了解事項が、生前のジョンとの間にあったという〔。
レノン=マッカートニーのクレジットで発表されたものは、ビートルズ以外にも1969年にジョン・レノンがプラスティック・オノ・バンド名義で発表したシングル盤「平和を我等に」は、ジョンとヨーコの共作であるにもかかわらずレノン=マッカートニーのクレジットになっており〔1997年以降ジョン・レノン単独表記に変更。現在、著作権登録もジョン・ウィンストン・レノン単独になっている。〕、ビートルズ関連の作品としては唯一の例外である。このことについて、生前のジョンは前述した『PLAYBOYインタビュー ジョン・レノン』で、ビートルズから離れることへの後ろめたさのようなものがあったからであると語っていた。
また、ブライアン・エプスタインがプロデュースした他のグループ(ザ・フォーモストアップルジャックスなど)や、ブライアンの死後にアップル・コアからデビューしたピーター&ゴードンメリー・ホプキンなどのアーティストにジョンとポールが曲を提供した際にもレノン=マッカートニーとクレジットされた。これらの曲は、1971年コンピレーション・アルバム"The Songs Lennon and McCartney Gave Away"としてEMIからリリースされた。一部の曲はビートルズとしても演奏・録音されており、『ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC』や『ザ・ビートルズ・アンソロジー』に収録されている。また、デビュー前にはデッカ社のオーディションにおいて「ハロー・リトル・ガール」(のちにザ・フォーモストに提供)、「夢のように("Like Dreamers Do")」(後にジ・アップルジャックスに提供)、「ラヴ・オブ・ザラヴド」(後にシラ・ブラックに提供)の3曲が録音された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「レノン=マッカートニー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.