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タリン( )は、バルト海東部のフィンランド湾に面するエストニア共和国の首都。旧称はレバル(ドイツ語・デンマーク語: )、ロシア帝国時代の名はレーヴェリ()、ソビエト連邦時代の名はタリン()である。人口約42万人。旧市街は世界遺産『タリン歴史地区』に指定されている。 タリンは、フィンランドの首都ヘルシンキ、ロシアのサンクトペテルブルクと同じく、フィンランド湾に面する主要都市の一つであり、2011年の欧州文化首都である。また、中世ハンザ都市の一つとして栄えた港湾都市で、現在もバルト海クルーズの主な寄港地の一つである。2008年にはNATOのサイバーテロ対策機関の本部が置かれた〔2007年、エストニアが、世界初( *)の大規模なサイバーテロ攻撃を受け、国全体のネット機能を麻痺させられたことを機に、2008年、NATOが、NATOサイバー防衛協力センターをタリンに創設した。NATO Cooperative Cyber Defence Centre of Excellence 。 ( *) 日本の外務省HP、エストニア共和国、外交・国防、3.国防より、。〕。 フィンランド湾南岸のタリンから、同湾北岸のヘルシンキまでは85km、同湾東奥のサンクトペテルブルクまでは350kmの距離である。 == 市名 == 1154年、イドリースィーの手によるムラービト朝の世界地図では「クルワン」 (Qlwn) として記されている。また東スラブの年代記では「コリヴァン」(Kolyvan) とも表記されているが、これらはエストニアの神話に出てくる英雄「カレフ」(Kalev) に由来する。13世紀まではリヴォニアやスカンディナヴィアの人々は、「リンダニサ」(Lindanisa) と呼んでいた。これはエストニアの国民的叙事詩であり、その英雄であるカレビポエクの母の名に因んでいる。彼女は亡き夫の墓を作るために岩を積み上げ、それがトームペアとなった、とされる。 1291年にデンマークに占領されると、エストニアの地方名の古名から「レバル」() となった。 1918年にエストニアが独立すると「タリン」となった。エストニア語で「デンマーク人の城」という意味である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タリン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tallinn 」があります。 スポンサード リンク
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