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レフ・カチンスキ(、1949年6月18日 - 2010年4月10日)は、ポーランドの政治家、大統領。兄のヤロスワフと共に、一卵性双生児の政治家として知られる。2010年4月、カティンの森事件追悼70周年記念式典に出席するため搭乗していた大統領専用機の墜落事故により、同じく式典出席のため同行していた妻のマリアおよび多数の有力政府高官と共に死亡した。 == 略歴 == *1971年 - 1977年:グダンスク大学の科学職員 *1977年:労働者保護委員会(「連帯」の前身)において政界入り。 *1980年:「連帯」第1回会議代表 *1980年8月:グダンスクでのストライキに参加し、スト委員会の法律顧問となる。 *1983年 - 1984年:「連帯」の委員会の1つを率い、後にグダンスク労働組合議長となる。 *1988年:「連帯」全ポーランド委員会書記 *1989年:「連帯」全ポーランド委員会幹部会議員。上院議員に選出。 *1990年:「連帯」全ポーランド委員会第1副議長 *1991年:下院議員に選出。大統領官房国家安全保障局長となる。 *1992年 - 1995年:中央聴講委員会議長、最高監督院議長 *1990年代:「中道勢力の合意」連合の党首の1人 *2000年 - 2001年:イェジ・ブゼク政権下で法務相 *2001年春:兄のヤロスワフと共に、政党「法と正義」(PiS)を創設し、同年、議会選挙で投票数の9.5%を獲得する。 *2001年:同党総裁に選出 *2002年:ワルシャワ市長 *2003年:「法と正義」総裁職を兄のヤロスワフと交代 *2005年3月:大統領選挙への出馬を表明する。 *9月:議会選挙において、「法と正義」は、投票数の27%を獲得し、第一党となる。 *10月:大統領選挙の決選投票において、投票数の54.04%を獲得して大統領に選出される。 *12月23日:大統領に就任 *2008年12月2日:来日 *2010年4月10日:カティンの森事件追悼70周年記念式典の為、自身やマリア夫人を始めとするポーランド政府使節団が乗ったポーランド空軍所属ツポレフ154型専用機がロシア連邦西部スモレンスクの北4kmにあるスモレンスク北飛行場〔ロシア空軍航空基地。市の南部のスモレンスク空港ではない。〕で墜落、乗客乗員96名全員が死亡した〔ポーランド大統領が死亡=搭乗機墜落、死者96人か-ロシア西部 時事通信〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レフ・カチンスキ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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