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レフ・イリイッチ・メーチニコフ(、 (レオン・メーチニコフ)、1838年5月18日 - 1888年6月18日)は、ロシアの革命家、東京外国語学校のロシア語教師、日本史研究家。 == 経歴 == ロシア帝国サンクトペテルブルクに生まれる。学生運動で革命を謀り、大学を転々とした。 ジュネーブでは留学中の大山巌に出会う。日本で教える外国人を探していた大山は、岩倉使節団で渡欧中の岩倉具視、木戸孝允、大久保利通にメーチニコフを紹介する。そしてメーチニコフは大山のフランス語個人教授となり来日、木戸孝允の斡旋で1874年(明治7年)から1876年(明治9年)まで東京外国語学校のロシア語教師として教壇に立った。 ロシア語科のカリキュラムは、歴史、数学などロシアの中学校のカリキュラムをそのままロシア語で教えた。メーチニコフは欧州の様々な言語をマスターしており、校長・中江兆民は、「フランス人でもメーニチコフほどフランス語の演説の上手い人はいない」と言っていたという。 スイスへ戻った1883年から翌年に、『回想の明治維新』を発表。1883年から晩年まで大学教授となり、比較地理学・統計学を教えた。 東京外国語学校の教え子に二葉亭四迷の師である黒野義文がいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レフ・メーチニコフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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