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レブカの歴史的港町(レブカのれきしてきみなとまち)は、フィジー、オバラウ島の港町レブカの沿岸部に残る歴史地区を対象とする国際連合教育科学文化機関 (UNESCO) の世界遺産リスト登録物件である。コロニアル建築が見られる街並みは、オセアニアとヨーロッパの文化交流や植民都市の歴史を伝えている。最初のフィジーの世界遺産であるとともに、街並みとして世界遺産となったのはオセアニアで初である。 == 歴史 == レブカ歴史地区の発展は4期に分けることができる。第1期は、ベシュ=ド=メール交易の拠点として発達し始めた1820年代から1850年までを指す。もともと存在していたヴィトガ村 (Vitoga) の遺跡などが、この時期の様子を伝えている〔。 第2期は1850年から1874年で、当時フィジーにあった王国のひとつの王となったがレブカを拠点としていた。この時期にはヨーロッパ人の入植者も増え、メソジストの教会など、キリスト教関連の建造物も建てられた〔。 第3期は1874年から始まる。1871年にイギリスからフィジー王に認められたザコンバウは、1874年にフィジーをイギリスの保護領とすることに同意した。実質的な植民地となったフィジーで最初の首都となったのがレブカであった。この時期がレブカの最盛期に当たるが、沿岸部に細長く展開する一方、後背地がすぐ山になっている地形的制約によって、1882年にはビチレブ島のスバに遷都された。第3期はこの1874年から1882年のわずか8年ほどの期間を指す〔。しかし、短期間で遷都されたことは、オセアニアに多く残る港町、ことにサモアの首都アピアと異なる特色をレブカにもたらした。アピアとレブカは植民地時代に首都だったことがある港町で、オセアニアの他の港町とは一線を画するが、アピアは今もなお首都であるがゆえに、かつての発展段階を伝える建造物群が十分には残っていない。これに対し、短期間だけ首都となった後にゆるやかに衰退したレブカには、それぞれの時期を伝える建造物群が良好に残る。これは世界遺産登録にあたっても評価された点である。 第4期は首都でなくなった後の1882年から1930年代である〔。1895年のサイクロンはレブカに甚大な被害をもたらしており、この時期の建造物群には、そのときに再建されたものを含んでいる〔。 フィジーに甚大な被害をもたらした2016年2月のは、レブカの歴史的な街並みに対しても大きな被害をもたらし、世界遺産センターからも被害に関するアピールがなされた〔Cyclone Winston Hits Fiji and its World Heritage Property (2016年3月3日閲覧)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レブカの歴史的港町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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