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レミ・ガルド
レミ・ガルド(Rémi Garde フランス語発音ɡaʁd , 1966年4月3日- )は、フランス・ローヌ県ラルブレル出身の元サッカー選手、元フランス代表。現サッカー指導者。現役時代のポジションは守備的ミッドフィルダー及びディフェンダー。レミ・ガルデとも表記されるが、より原語に近いのはガルドである(末尾のeは発音しないため)。 == 経歴 ==
=== 選手 === 1992年にオリンピック・リヨンの下部組織に入団。守備的ミッドフィルダーやスイーパーとしてプレーするガルドは、1989年に中心選手としてリーグ・アン昇格に貢献し、昇格後も順調に、また、主将としてパフォーマンスを示し続けたことが、1990年1月のクウェート戦でフランス代表初出場へと繋がっており、全6試合に出場。UEFA EURO '92のメンバーにも選ばれた。1993年から3季は、RCストラスブールで過ごし、1995年にはクープ・ドゥ・フランスの決勝戦まで進出した。 1996年8月にアーセン・ヴェンゲル監督がイングランド1部のアーセナルFCにガルドを推薦した縁で自由契約選手として加入が決定。なお、この時点のベンゲル監督は日本の名古屋グランパスを指揮しており、まだアーセナルの監督ではなかった〔"Arsenal manage double signing" 〕。この時のガルドは30歳のベテランであり、2季前に膝の手術を受け、1季前のストラスブールでの出場機会は限定されていたものであり〔、同日加入の同胞パトリック・ヴィエラとは違って未来の主力選手ではなく、経験豊富な控え選手の位置付けだった。実際、中盤でヴィエラや同胞エマニュエル・プティの控えを見事に務めて〔"Remi Garde" arsenal.com〕在籍3季で公式戦43試合に出場しており、1997-98シーズンでは主に負傷がちだった右サイドバックのリー・ディクソン(en)の代役として〔リーグ戦10試合に出場して2冠達成に貢献した。なお、同シーズンのFAカップには準々決勝ウェストハム・ユナイテッドFC戦の1試合に出場しているが、PK戦では唯一失敗し〔"West Ham 1 Arsenal 1 (aet, 3-4 on penalties)" Sporting Life〕、決勝戦には出場していない。定期的な膝の負傷に悩まされた末に1999年6月に現役引退をした〔"Perry set on Spurs move" 〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レミ・ガルド」の詳細全文を読む
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