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レメーニ・エデ : ミニ英和和英辞書
レメーニ・エデ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

レメーニ・エデ ( リダイレクト:エドゥアルト・レメーニ ) : ウィキペディア日本語版
エドゥアルト・レメーニ[ちょうおん]

エドゥアルト・レメーニEduard Remenyi または Reményi Ede, もとの姓はホフマン (Hoffmann), 1830年1月17日 エゲド Eged - 1898年5月15日 ニューヨーク)はハンガリー出身のユダヤ系ヴァイオリニスト
ブラームスの青春時代に演奏旅行をともに行なったこと、ブラームスに同郷のヨーゼフ・ヨアヒムを引き合わせたこと、さらにはブラームスの《ハンガリー舞曲》をめぐって盗作の疑いで訴えたこと(結果は敗訴)などで、ドイツオーストリアの音楽史に名を残した。兄のレメーニ・アンタル()は旅行家・作家。
==生涯==
1842年から1845年までウィーン音楽院に学ぶ。同時期の学友としてはヨーゼフ・ヨアヒムヨーゼフ・ヘルメスベルガー1世らがいる。1846年ハンガリー革命に加わった疑いでオーストリア帝国から追放にされ、渡米して5年のあいだ放浪の楽師として過ごす。1853年ヨーロッパに戻り、一時期ヴァイマルを訪れ、フランツ・リストの好意によって指導を受ける。1854年ヴィクトリア女王お抱えのヴァイオリニストとなる。1860年大赦によってハンガリーに戻り、その後にオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフのお抱えヴァイオリニストになる。1865年にヨーロッパ各地で演奏旅行。1871年から1877年パリに過ごし、それから2年後にロンドンに渡り、さらに北米中米でも演奏旅行を続けた。1886年に世界一周の演奏旅行に着手、喜望峰を越えてアジアに渡り、インドシナ半島中国日本でも活動したと伝えられる(日本については後述)。
ショパンのワルツやポロネーズ、マズルカのほか、シューベルトピアノ曲やバッハの鍵盤楽曲をヴァイオリン用に編曲し、《ヴァイオリンの新しい教程》と題した曲集の中で公表した。自作のヴァイオリン協奏曲を残している。
ミシュコルツ市はレメーニ・エデ音楽賞 Reményi Ede zenei díj を設けている(Holiday of the City of Miskolc 参照)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドゥアルト・レメーニ」の詳細全文を読む




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