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レンネル島沖海戦とは太平洋戦争(大東亜戦争)中、1943年1月29日から30日にソロモン諸島レンネル島沖で発生した海戦。日本軍が航空攻撃でアメリカ軍の重巡洋艦シカゴ (''USS Chicago, CA-29'') を撃沈した。また、この海戦でアメリカ軍は近接信管を使用した。日本軍はガダルカナル撤退作戦(ケ号作戦)の最中であり、島に近付く敵を阻止する必要があった。 ==概要== 日本軍航空部隊は1月15日からガダルカナル島への夜間攻撃を強化を企画、天候が回復した19日より撤収作戦終了までほぼ連夜に渡りガダルカナル島飛行場の爆撃を行っていた。またポートモレスビーとラビへの夜間爆撃も同時に実施していた。1月25日からはガダルカナル島のアメリカ軍飛行場に対し航空撃滅戦を実施。第一次となる25日、零戦72機が一式陸攻12機とともに侵攻するも、5機(零戦4機・一式陸攻1機)を喪失し撃墜戦果無しと一方的な敗北を喫した。一方で第二次の27日、海軍の要請によりソロモン方面へ進出していた陸軍航空部隊、飛行第11戦隊と飛行第1戦隊の一式戦「隼」69機が飛行第45戦隊の九九双軽9機とともに侵攻。この空戦においてアメリカ陸軍航空軍第339戦闘飛行隊および海兵隊第112海兵戦闘飛行隊の戦闘機24機と交戦、一式戦「隼」は6機を喪失するも7機を撃墜していた。 1月29日、日本軍の偵察機がサンクリストバル島の南でアメリカ艦隊(護衛空母2、重巡洋艦3、軽巡洋艦3、駆逐艦8)を発見した。これはギフェン少将の指揮する、ガダルカナル島の部隊の交代要員を乗せた輸送船を護衛する第18任務部隊であり、護衛空母シェナンゴ、スワニー及び重巡洋艦シカゴ、ルイビル、ウイチタ、軽巡洋艦クリーブランド、コロンビア、モントピリアからなっていた。また、その後方には空母エンタープライズ、サラトガを基幹とする艦隊が援護のためにいたが日本軍はこの艦隊は発見できていない。 敵艦隊を発見した日本軍は、ラバウル、バラレ、ブカ、ショートランドから触接機を発進させた。 日本軍は、攻撃が太陽が没する直前の薄暮になるようにわざと時間を遅らせてラバウルから攻撃隊を発進させた。まず12時35分に第705航空隊の一式陸攻16機が、続いて12時45分に第701航空隊の96式陸攻22機が発進した。指揮官は701空飛行長檜貝襄治少佐。なお、第701航空隊の22機のうち7機は夜間攻撃用の照明隊である。また、第705航空隊のうち1機は故障のため引返している。 ギフェン隊は19時に駆逐艦4隻と合流予定であり、その時間に遅れそうであったため低速の護衛空母を護衛の駆逐艦2隻と共に分離した。 日没後の17時19分、第705航空隊が攻撃を開始したが戦果はなく対空砲火で1機を失った。その後触接機が照明弾を投下した。17時40分、第701航空隊が攻撃を開始した。この攻撃で重巡洋艦シカゴに2本、ルイビル、ウイチタに各1本の魚雷が命中した。シカゴは大破したがルイビルとウイチタに命中した魚雷は不発だった。日本軍は指揮官機を含む2機を失った。 翌30日、日本軍は再びギフェン隊を発見、10時15分、ブカ島から第751航空隊の一式陸攻11機が発進した。14時6分、攻撃隊はギフェン隊を発見、攻撃を開始した。空母エンタープライズからの直援機などにより攻撃隊は陸攻11機のうち7機が撃墜されたが、損傷して曳航中のシカゴに魚雷4本を命中させて撃沈、駆逐艦ラ・ヴァレットにも魚雷1本を命中させ大破させた。 日本の大本営は戦艦2隻、巡洋艦2隻撃沈、戦艦1隻、巡洋艦1隻中破、戦闘機3機撃墜と発表した。 アメリカ軍は重巡洋艦1隻沈没、駆逐艦1隻大破の損害を受けたが、輸送船は無事にガダルカナル島に到着できた。日本軍もガダルカナル撤退を察知されることなく作戦目的を達した。 2月1日、日本海軍はガダルカナル島からの第一次撤収を開始した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レンネル島沖海戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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