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レンベルト・ドドゥーンス : ミニ英和和英辞書
レンベルト・ドドゥーンス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

レンベルト・ドドゥーンス ( リダイレクト:レンベルト・ドドエンス ) : ウィキペディア日本語版
レンベルト・ドドエンス[ちょうおん]

レンベルト・ドドエンス(Rembert Dodoens、1517年6月29日1585年3月10日)は、フランドルの医師、植物学者である。ラテン語名はドドネウス(Rembertus Dodonaeus)である。本草書『クリュードベック』(Cruydeboeck)の著者である。ドドエンスの著書は、ヨンストンの『動物誌』とともに江戸時代野呂元丈らによって蘭訳書から『阿蘭陀本草和解』などに抄訳された〔『江戸期のナチュラリスト』木村陽二郎(著)朝日選書〕。
メヘレンで生まれた。 1530年にルーヴェン大学で医学、地理学の勉強を始め、1535年に卒業した。1538年にメッヘレンで医師を開業した。1542年から1546年までバーゼルで暮らした。ルーヴェン大学の教授の職やスペインのフェリペ2世の侍医の職を断った後、1575年から3年間、ウィーンオーストリアルドルフ2世の侍医を務めた。1582年からライデン大学で医学の教授となり、彼の死までその職に留まった。
ドドエンスの『クリュードベック』は715の図版からなる草木の本で、レオンハルト・フックスの影響を受けて植物を6つのグループに分類した。薬草を多く扱ったので薬学の書物として評価された。1554年に出版された『クリュードベック』は1557年にカロルス・クルシウスによりフランス語に翻訳され、1578年にHenry Lyteによって"A new herbal, or historie of plants"として翻訳された。ラテン語にも翻訳され、当時としては聖書に次いで多く翻訳された書物となった。2世紀にわたって、参考文献として利用された。
ムクロジ科の植物の属名ドドナエアに名前がつけられている。
== 著書 ==

* ''Herbarium'' (1533)
* ''Den Nieuwen Herbarius'' (1543)
* ''Cosmographica in astronomiam et geographiam isagoge'' (1548)
* ''De frugum historia'' (1552)
* ''Trium priorum de stirpium historia commentariorum imagines'' (1553)
* ''Posteriorum trium de stirpium historia commentariorum imagines'' (1554)
* ''Cruydeboeck'' (1554)
* ''Physiologices medicinae tabulae'' (1580)
* ''Medicinalium observationum exempla rara'' (1581)
* ''Stirpium historiae pemptades sex'' (1583)
* ''Praxis medica'' (1616) (posthumous)
* ''Ars medica, ofte ghenees-kunst'' (1624) (posthumous)


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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