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『レ・タン・モデルヌ』(、「現代」の意)は、ジャン=ポール・サルトルが創刊した政治、文学、哲学の雑誌である。 『レ・タン・モデルヌ』誌は1945年10月に、サルトルやボーヴォワールらによって創刊された。「政治的社会的事件が起こるごとに、われわれの雑誌は一々の場合に応じて立場を明らかにする。政治的にそうするのではない。すなわちどの政党に仕えるのでもない。そうではなくて、目前の主張がよって立つところの人間観に従って意見を述べる」という創刊の辞に示された「アンガージュマン〔「参加」の意。特に、知識人や芸術家が現実の問題に取り組み、社会運動などに参加すること。〕」(仏:engagement)の思想は、戦後一貫して世界の行動する人々に、大きな影響を与え続けている。 1986年10月号以降は、ナチスの強制収容所を扱った記録映画『ショアー』(1974〜85)の監督などで知られるクロード・ランズマン(Claude Lanzmann)が編集長を務めている。1998年には『レ・タン・モデルヌ50周年記念号』(緑風出版より邦訳)を発刊。2000年、サルトル没後20年特集を2回にわたって組んだ。世界の動向に鋭い分析を加えるという当初からの基本的な編集方針は現在も堅持され、同誌はさまざまな話題に接近している。 == 創刊 == 1944年に編集委員会が結成された。次の人々が名を連ねている。 *ジャン=ポール・サルトル *レイモン・アロン *シモーヌ・ド・ボーヴォワール *ミシェル・レリス *モーリス・メルロー=ポンティ 1953年、マルクス主義をめぐりサルトルと対立。『レ・タン・モデルヌ』誌と絶縁〔清水書院『新訂版 倫理資料集 ソフィエ ~智を学び夢を育む~』235ページ〕。 *アルベール・オリヴィエ(Albert Ollivier) *ジャン・ポーラン(Jean Paulhan) アンドレ・マルローとアルベール・カミュはそれぞれ異なる理由で拒否した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レ・タン・モデルヌ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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