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バレンツ海海戦(バレンツかいかいせん、英語:Battle of the Barents Sea)は、第二次世界大戦中の1942年12月31日に、ノルウェーの北岬沖バレンツ海で生起した、ドイツ海軍とイギリス海軍との海戦のこと。イギリスからソビエト連邦のコラ湾へ向かっていたJW51B船団の航行をドイツ海軍が妨害しようと出撃した艦隊が船団護衛の任に就いていた艦隊と戦闘になった。ドイツ海軍の作戦名はレーゲンボーゲン作戦(''Unternehmen Regenbogen''、意味は「虹」)。 == 海戦前 == イギリスJW51B船団(ロバート・シャーブルック大佐指揮)は商船14隻、駆逐艦アカテス、オーウェル(Orwell)、オラビー(Oribi)、オンスロウ、オブデュレイト(Obdurate)、オビーディアント(Obedient)、コルベット船ロードデンドラン、ハイダラーバード、掃海艇ブランブル、武装トロール船ヴィザルマ、ノーザン・ジェムという編成だった。 加えて、援護部隊としてロバート・バーネット少将麾下の軽巡洋艦シェフィールド、ジャマイカがバレンツ海にいた。 ドイツ艦隊は重巡洋艦アドミラル・ヒッパー、装甲艦リュッツォウ、駆逐艦フリードリヒ・エックホルト、リヒャルト・バイツェン、テオドア・リーデル、Z29、Z30、Z31でノルウェーの北部のアルテンフィヨルドにいた。指揮官はオスカー・クメッツ (Oskar Kummetz) 中将であった。 JW51B船団は12月22日ロッホ・ユーを出航し、28日、吹雪のため商船5隻とオラビー、ヴィザルマが行方不明となった。その後商船3隻は船団と合流したが、残りは船団とは別にコラ湾に向かった。 30日午前、ドイツの潜水艦U-354が船団を発見した。この報告を受けたクメッツ中将は艦隊を率いて出撃した。しかし、ドイツ艦隊はヒトラー総統から危険を冒すことを禁じられていた。クメッツ中将は艦隊をアドミラル・ヒッパー、駆逐艦3隻とリュッツォウ、駆逐艦3隻の2つに分け挟撃を試みた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バレンツ海海戦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of the Barents Sea 」があります。 スポンサード リンク
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