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レース () は、手芸の一分野で1本または何本かの糸を用い、すかし模様の布状にしたものの総称である。 狭義には、ニードルレースとボビンレースを指し、これはヨーロッパを中心としたレースの伝統をもつ地域では一般的である。ニードルレースとボビンレースは、中世ヨーロッパでは「糸の宝石」と呼ばれるほど珍重され、貴族がこぞって買い求めた。 広義のレースは、刺繍レース、鉤針編みレース、棒針編みレース、タティングレース、フィレレースなどを含み、これは主に19世紀以降にレース技術が伝わった地域で一般的である。日本においては手芸の分類としてレース編みと一まとめに表現しているが、実際には織る・結ぶといった方法で作られるレースも「レース編み」として表現されることが多く、注意が必要である。厳密には、単に「レース編み」と言えば、ふつう「クロッシェレース」(かぎ針編みレース)を指す。他はタティングレース・ボビンレース等と、区別して表記することが一般的である。レース技法に対する認識の低さは、日本においては政府が1870年代に横浜に設立したレース教習所が唯一の教習所であったこと、他のアジア各国のような手作りレースの輸出産業が発展しなかったことに起因する。 以下、中世貴族と共に繁栄したレースの歴史と、現代の日本で「レース」と呼ばれている技術について述べる。 == 歴史 == 紀元前1500年頃のエジプトでは、網状のレースや刺繍レースが使用されていた。古代ギリシア人やローマ人たちは、糸や金糸でトーガやペプラムを美しく飾った。また、日本の唐招提寺に現存する「方円彩糸花網」(ほうえんさいしかもう)は、8世紀半ば以前に中国で制作されたもので、ヨーロッパのニードルポイントレースに極めて類似した技術で作られている〔『NHK世界手芸紀行(1) ニット・レース編』NHK取材班〕。このことは、ユーラシア大陸の東西それぞれに技術が伝播したことを示している。 15世紀頃までには、フランドル(現在のオランダの一部、ベルギー西部、フランス北部)やイタリアのヴェネツィアで、ボビンに糸を巻いてブレードを編む方法が考案されていた。15世紀までのヨーロッパでは、レースは実用的な用途に用いられる飾り紐のようなものであり、家庭の中で作成されていた。レースが装飾的なものに変化したのは、16世紀に入ってからである。 15世紀末から16世紀初頭にかけてのイタリアのヴェネツィアにおいて、ドローンワークやカットワークから、レティセラやニードルレースが考案された。一方、ヴェネツィアやフランドルにおいて、飾り紐やブレードからパスマン(ブレードを組んで作ったレース)やボビンレースが発展した。 当時、イタリア製のレースは国外でも注目され、イタリアで流行したレースはヴェネツィアの商人によって、ヴェネツィアンレースとしてイギリス、フランス、スペイン、ドイツなどへ持ち込まれていた。イギリス国王エリザベス1世はのレースの衿を好んで用いた。 フランスでは、1533年、アンリ2世と結婚したフィレンツェのカトリーヌ・ド・メディシスによってイタリアのレースが紹介され、さらに姪のマリー・ド・メディシスがアンリ4世と結婚し、レースの需要が高まった。レースの購入費が海外へ流出するのを防ぐため、王侯・貴族以外は使用を禁止された。そのため、フランスでは17世紀中期、ルイ14世の宰相ジャン=バティスト・コルベール公爵の重商主義の一環として、国営の製造所でポワン・ド・フランスが作られた。しかし、良質の麻が取れたとの理由でまもなくベルギーにレース作りの拠点が移った。そして、生産性向上の欲求のため、18世紀にフランドル地現ベルギー)でボビンレースが発展した。 1707年に書かれた詩により、イングランドのメアリー2世がタティングレースの愛好家であったことが推測されている。タティングレースは18世紀以降、ヨーロッパの宮廷で身分ある女性のたしなみとして発展していった。 1789年のフランス革命以前より、フランスのレースは生産されなくなっていった。イギリスでは、産業革命により、新しいレース機械が発明された。複雑なレースが安く大量に作られることにより、手作りレースが衰えた。 1846年にアイルランドを襲った飢饉(ジャガイモ飢饉)のとき、自分たちの編んでいた鈎針編みレースを輸出し、外貨を稼いだ。これ以後アイリッシュクロッシェレースが他国でも認知されるようになった。 現在では、機械で複雑なレースが安く大量に作られることにより、高級な手作りレースは市場に出回らない。東南アジア製品や観光客向けの工房による、安価でシンプルなレースが細々と残っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レース (手芸)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lace 」があります。 スポンサード リンク
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