|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
アラベラ(''Arabella'' )は、ボルクヴァルト・グループに属するロイトが、1959年から1963年まで製造販売した大衆車である。 == 概要 == アラベラはロイト車として初の、そして同社史上最後の4気筒エンジン車で、既存車種より上級のマーケットを開拓する使命が与えられていた。 後席のヘッドスペースこそやや限られていたものの、アラベラは大人4人が比較的楽に乗車できる全長3,800mm×全幅1,510mm×全高1,395mmのボディサイズを持ち、センター部分が奥まったいわゆる朝顔型のステアリングホイール、角が丸められたドアノブ、急制動時に背もたれが倒れないよう強化されたフロントシートのバックレストのロック機構、アクティブセーフティの面でも前輪駆動方式の採用や大径のドラムブレーキなど、1950年代の車としては安全性への配慮が行き届いていた。車両重量は695kgと比較的軽量で、水冷水平対向4気筒897cc・38馬力のエンジンで最高速度120km/hをマークした。 上級のアラベラ・デラックスが翌1960年に追加され、45馬力・133km/hと性能も強化された。1959年のフランクフルト・オートショーではクーペ版も展示されたが生産化はされなかった。1961年7月、ボルクヴァルト・グループが破綻するまでに45,549台のロイト・アラベラが生産された。その後は在庫部品などを用いて「ボルクヴァルト・アラベラ」として生産続行され、1963年までに1493台が作られた(合計47,042台)。 アラベラは商業的には成功作とはならなかった。これは恐らく生産開始当初のさまざまな不具合とリコール対策によりイメージが低下したことが原因と思われる。特に雨漏りは深刻な問題であったらしく、当時のドイツでは「Aquabella」という有難くないニックネームも付けられていた(Aquaとはイタリア語で「水」の意味)。 なお、水平対向エンジンによる前輪駆動というレイアウトは、日本の富士重工業が前輪駆動車開発の参考にしており、同社から1966年に登場したスバル・1000に同様なレイアウトが採られたが、富士重工が参考車両として購入したアラベラは、実際には試験においてドライバビリティ不良を露呈しており、さほど参考にはされなかったという。スバル・1000の冷却系と前輪駆動ジョイント関連を除いたドライブトレーンは、むしろ同じ水平対向4気筒のフォルクスワーゲン・タイプ1からの影響が強い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロイト・アラベラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|