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ロイヤルクラウンダービー : ミニ英和和英辞書
ロイヤルクラウンダービー[びー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee

ロイヤルクラウンダービー : ウィキペディア日本語版
ロイヤルクラウンダービー[びー]

ロイヤルクラウンダービー磁器会社(ロイヤルクラウンダービーじきがいしゃ、)は、イングランドダービーにある磁器メーカー。高品質のボーンチャイナで特に知られるこの会社は、1750年頃からテーブルウェア(食卓用食器)と観賞用磁器を作り続けてきた。
== 歴史 ==

=== ウィリアム・ドゥーズベリ 1世、2世 ===

1745年、ザクセンからのユグノー移民アンドリュー・プランシェはダービーに住みついた。彼はそこで1747年-1755年の間、ソフトペーストの花瓶と小立像を製作した。1756年のはじめ、彼は以前チェルシー磁器工房とロントン・ホールで絵付師をしていたウィリアム・ドゥーズベリ(1725年 — 1786年)、銀行家のジョン・ヒースと共同事業を立ち上げた〔オリジナルの同意書が今もヴィクトリア&アルバート博物館に保管されている。〕。これがダービー会社の設立にあたるが、町の外れで活動していた同じダービー磁器メーカーのコックピット・ヒル工房の方が時期としては早かった。それはヴィクトリア&アルバート博物館が所有する1750年の印がつけられたの水差しから明らかである。プランシェは会社設立ののち殆どすぐに姿を消し、事業はドゥーズベリとヒースの二人で、のちドゥーズベリ一人で運営された。才能ある起業家だったドゥーズベリは、ガラス質、、焼いて灰粉にした骨を含ませた新しい練り土を開発した。これによって工房は高品質の食器を製作できるようになった。彼は可能な限り最高の造形師と絵付師を雇うことによって、瞬く間にダービーを正餐用食器セットと小立像の主要な生産地とした。人物画は、キューピッドを特に得意とするリチャード・アスキューと、ジェームズ・バンファドが描いた。ザカリア・ボアマンとジョン・ブルーワーは風景画、静物画、田園風景画を描いた。複雑な花模様はウィリアム・ビリングズリーがデザインし、描いた。
1770年にドゥーズベリはロンドンの名高いチェルシー磁器工房を取得することで、既に高い評価を得ていたダービーの名をさらに高めた。チェルシーの工房は同地で1784年まで運営され(この時期の製品は「チェルシー・ダービー」と呼ばれる)、その後に工房は取り壊され、在庫、図案、型などの資産や多くの職人たちはダービーへ移された。1776年に彼は再び、これもかねてから有名なを取得し、移転可能なものは同様にダービーへと移した。
1773年、ドゥーズベリの熱心な仕事ぶりはジョージ3世によって報いられた。すなわち王はダービーの工房を訪れたのち、裏印に王冠を描き込むことをドゥーズベリに許した。これにより、この会社は「クラウン・ダービー」と呼ばれることとなった。
1786年にドゥーズベリは没し、会社は息子のドゥーズベリ2世が受け継いだ。彼もまた才能のある経営者であり、会社の名を高らしめつつ、多くの釉薬と型を開発した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロイヤルクラウンダービー」の詳細全文を読む




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