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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ロイ・ヘファーナン(Laurence Roy Heffernan、1925年7月12日 - 1992年9月24日)は、オーストラリア出身のプロレスラー。 北米のマット界に進出後、アル・コステロとの悪役タッグチーム、ファビュラス・カンガルーズ(The Fabulous Kangaroos)の初代メンバーとして活躍した。 == 来歴 == ボディビルディングを経て、1944年にプロレスラーとしてデビュー。1953年にアメリカへ進出し、太平洋岸北西部で活動。ベビーフェイスのポジションでレッド・バスチェンともタッグを組み、1956年にはNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を獲得している。 1957年、カナダのカルガリー地区(スチュ・ハート主宰のスタンピード・レスリング)にて、同じくオーストラリアから渡米してきたアル・コステロをパートナーにファビュラス・カンガルーズを結成。以降、ヒールのタッグチームとして、テキサス、ニューヨーク、ロサンゼルス、フロリダなど、全米の主要テリトリーで活躍した〔。 1965年7月5日のバンクーバーでのドン・レオ・ジョナサン&ジム・ヘイディとの試合を最後に、コステロとのタッグを解消してオーストラリアに帰国〔『Gスピリッツ Vol.21』P79(2011年、辰巳出版、ISBN 4777809463)〕。ジム・バーネットが運営していたワールド・チャンピオンシップ・レスリングにおいて、スカル・マーフィーやブルドッグ・ブラワーと共にヒール陣営のトップとしてスパイロス・アリオンらと抗争。同年10月から11月にかけては、豪州遠征中だったカール・ゴッチと8回対戦し、5勝1敗2引き分けの戦績を残した〔。 1992年9月24日、心臓発作により67歳で死去〔。没後の2013年、初代カンガルーズでの功績をたたえ、アル・コステロと共にNWA殿堂に迎えられた。 なお、1980年代前半にカナダ出身のボブ・ダラセーラがロイ・ヘファーナンの「甥」と称し、ジョニー・ヘファーナンあるいはボビー・ヘファーナンと名乗ってドン・ケントと新生ファビュラス・カンガルーズを結成していたが、あくまでもギミック上の設定であり、実際には血縁関係はない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロイ・ヘファーナン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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