翻訳と辞書
Words near each other
・ ロイ・ヒバート
・ ロイ・ビリング
・ ロイ・ビーン (映画)
・ ロイ・フェレ
・ ロイ・フォスター
・ ロイ・フォスター (アメリカンフットボール)
・ ロイ・フォッカー
・ ロイ・ブラウン
・ ロイ・プランケット
・ ロイ・ヘインズ
ロイ・ヘッファーナン
・ ロイ・ヘファーナン
・ ロイ・ヘンダーソン
・ ロイ・ベーツ
・ ロイ・ベーレンス
・ ロイ・ホジソン
・ ロイ・ホワイト
・ ロイ・ボール
・ ロイ・マカーイ
・ ロイ・マスタング


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ロイ・ヘッファーナン : ミニ英和和英辞書
ロイ・ヘッファーナン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ロイ・ヘッファーナン ( リダイレクト:ロイ・ヘファーナン ) : ウィキペディア日本語版
ロイ・ヘファーナン[ちょうおん]

ロイ・ヘファーナンLaurence Roy Heffernan1925年7月12日 - 1992年9月24日)は、オーストラリア出身のプロレスラー
北米のマット界に進出後、アル・コステロとの悪役タッグチームファビュラス・カンガルーズThe Fabulous Kangaroos)の初代メンバーとして活躍した。
== 来歴 ==
ボディビルディングを経て、1944年にプロレスラーとしてデビュー。1953年アメリカへ進出し、太平洋岸北西部で活動。ベビーフェイスのポジションでレッド・バスチェンともタッグを組み、1956年にはNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を獲得している。
1957年カナダカルガリー地区(スチュ・ハート主宰のスタンピード・レスリング)にて、同じくオーストラリアから渡米してきたアル・コステロをパートナーにファビュラス・カンガルーズを結成。以降、ヒールのタッグチームとして、テキサスニューヨークロサンゼルスフロリダなど、全米の主要テリトリーで活躍した〔。
1965年7月5日のバンクーバーでのドン・レオ・ジョナサン&ジム・ヘイディとの試合を最後に、コステロとのタッグを解消してオーストラリアに帰国〔『Gスピリッツ Vol.21』P79(2011年、辰巳出版、ISBN 4777809463)〕。ジム・バーネットが運営していたワールド・チャンピオンシップ・レスリングにおいて、スカル・マーフィーブルドッグ・ブラワーと共にヒール陣営のトップとしてスパイロス・アリオンらと抗争。同年10月から11月にかけては、豪州遠征中だったカール・ゴッチと8回対戦し、5勝1敗2引き分けの戦績を残した〔。
1992年9月24日心臓発作により67歳で死去〔。没後の2013年、初代カンガルーズでの功績をたたえ、アル・コステロと共にNWA殿堂に迎えられた。
なお、1980年代前半にカナダ出身のボブ・ダラセーラがロイ・ヘファーナンの「甥」と称し、ジョニー・ヘファーナンあるいはボビー・ヘファーナンと名乗ってドン・ケントと新生ファビュラス・カンガルーズを結成していたが、あくまでもギミック上の設定であり、実際には血縁関係はない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロイ・ヘファーナン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.