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『ROCKIN'ON JAPAN』(ロッキング・オン・ジャパン)は、ロッキング・オンが発行する邦楽ロック、ポップス専門の音楽雑誌である。通称は、ジャパン、ロキノン、ロキノンジャパンなど。 == 概要 == 毎回、40組以上のアーティスト (歌手、バンド) のインタビュー記事が掲載される。(取材記事については、ロッキング・オン側がギャランティを支払うのではなく、アーティスト側がロッキング・オン側に広告費を支払うことにより記事を掲載するという手法を採っている)この雑誌の大きな魅力の一つとしてそのアーティストの幼少時代や音楽的な芽生えのきっかけなどのさまざまな経歴を問うた記事の「○万字インタビュー」(基本的には2万字)などがある。 初代編集長はロッキング・オン創始者の渋谷陽一。かねてから「邦楽雑誌を作るなら彼を表紙にする。」と言い続けていた佐野元春が創刊号の表紙であった。 二代目編集長は山崎洋一郎。山崎が編集長を務めていた頃はバンドブームであり、編集長の山崎がフリッパーズギター、ニューエスト・モデルなどのいわゆる「硬派」なアーティストを取り上げ、同時期に在籍していた市川哲史がXやBUCK-TICKなどのあとに「ビジュアル系」と呼ばれるアーティストを取り上げており、誌面は両極端な2種類のアーティストのページの取り合いとなってしまった。そのため、ロッキング・オン・ジャパンは『パチパチ』や『GB』などの当時の音楽雑誌の中ではマイナーな存在だった。まもなく市川はロッキング・オン社を退社し『音楽と人』を創刊。山崎の独裁体制となったロッキング・オン・ジャパンは1994年に判型をA5判に縮小し大リニューアルを行い、掲載アーティストを一気に絞った。リニューアルと同時のタイミングで起こった渋谷系ブームもあり、小沢健二、Cornelius、電気グルーヴ、ORIGINAL LOVE、スチャダラパーなどを積極的に取り上げ、部数を伸ばす。またデビュー当時からプッシュを続けてきたエレファントカシマシが1994年にレコード会社と契約を切られた上、所属事務所が解散してしまったときにはエレカシ復活のため一役かい、ブームのきっかけを作る。1990年代後半のヴィジュアル系ブームを殆ど無視し、THE YELLOW MONKEY、thee michelle gun elephant、くるり、中村一義、SUPERCAR、ナンバーガールなどを積極的に取り上げた。 2000年には山崎に代わり鹿野淳が三代目編集長に就任、2002年には月刊から月2回の発行となったが、売り上げの伸び悩みやスタッフの不足などでわずか1年で月刊に戻している(月2回の時期は鹿野と兵庫慎司の2人体制)。またこの時期、以前までロッキング・オン・ジャパンの常連として登場していた浅井健一による編集長暴行事件が誌面上で報じられ、様々な議論を生んだ。 2004年に鹿野が退社、古河晋が四代目編集長に就任する。 2006年4月には山崎洋一郎が編集長に復帰。(2009年4月から2012年3月までは総編集長・山崎、編集長・古河によるW編集長体制。) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ROCKIN'ON JAPAN」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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