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ログネダ・ログヴォロドヴナ
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ログネダ・ログヴォロドヴナ : ウィキペディア日本語版 | ログネダ・ログヴォロドヴナ ログネダ・ログヴォロドヴナ(、960年頃 - 1000年頃)は、ポロツク公国の公女である。ポロツク公の娘で、ウラジーミル1世の妻の1人となり、ポロツク・イジャスラフ朝(ru)の祖・イジャスラフを生んだ。また、『原初年代記』の記述〔『ロシア原初年代記』93頁〕によれば、キエフ大公ヤロスラフ1世や、ヴォルィーニ公国の初代ヴォルィーニ公フセヴォロドらの母でもある。 == 経歴 ==
=== 『原初年代記』のログネダ === :『原初年代記』に基づいた、ログネダの生涯は以下のようなものである。 ログネダは父と共にポロツクで暮らしていた。980年、ノヴゴロド公だったウラジーミル(後のキエフ大公ウラジーミル1世)が求婚したが、ログネダは「奴隷の息子の履物を取るのはいやです」とウラジーミルを評して求婚を拒絶し、キエフ大公ヤロポルク1世との結婚を望んだ。978年もしくは980年、ウラジーミルはヴァリャーグ等と共にポロツクを侵略し、ログネダを捕らえて両親の前で彼女を強姦した。ついでログネダの2人の兄弟と父・ログヴォロドを殺した。さらに、キエフを攻めてヤロポルク1世を殺し、キエフ大公となってログネダを強制的に妻とした。伝説では、この時にログネダはゴリスラヴァ(悲しみの意〔『ベラルーシ 境界領域の歴史学』129頁〕)という名を授かったという。ウラジーミルには多くの妻と妃がおり、ログネダはルイベチ川の辺の街に置かれ、4人の息子と2人の娘が生まれた。988年には、ログネダの子イジャスラフがポロツクに配置されている〔『ロシア原初年代記』134頁〕。ログネダはおそらくイジャスラヴリ(現ベラルーシのザスラーウエ)で、1000年ごろ死去した〔『ロシア原初年代記』143頁〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ログネダ・ログヴォロドヴナ」の詳細全文を読む
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