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ロサンゼルス・キングス(Los Angeles Kings)はアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスを本拠としているナショナルホッケーリーグ(NHL)所属のプロアイスホッケーチームである。 == 歴史 == カリフォルニア州南部では太平洋岸ホッケーリーグ (Pacific Coast Hockey League, PCHL) に多くのチームが所属し、またマイナープロチームの興行も成功を収めていた。しかし、1960年代以前にはロサンゼルスには大観衆を受け入れるだけのアリーナが存在せず、このことがNHLのロサンゼルスへの進出を躊躇させる主たる要因となっていた。 PCHLがメジャーリーグを脅かす存在となりスタンリー・カップとも競争を始めるようになると、カナダの事業家ジャック・ケント・クック (Jack Kent Cooke) は、いわゆる「エクスパンション・シックス」としてロサンゼルスに新チームを設立するためNHL に対し2百万ドルを投じた。クックは、アリーナについて「新チームは『世界一美しいアリーナ』で試合を行うことになろう。」とのコメントを残した。 この言葉にたがわず、キングス初のホームアリーナは「すばらしきフォーラム」としてカリフォルニア州イングルウッドにおいて、絶賛されながら開場した。 キングスは創立初年度からそこそこの成功を収めたものの、当時弱小であった西部地区において第1位の座に1ポイント及ばず、またチーム管理のミスにも悩まされた。1969-1970 シーズンはNHL中最低の成績に終わる。1973-1974 シーズンはプレイオフに参戦し、その翌期は42-17-21と良好な成績を残す。しかし、なかなかプレイオフで勝ち上がることはできなかった。 マーセル・ディオン (Marcel Dionne、チーム史上最高のスーパースター)がデトロイト・レッドウイングスから移籍し、また最上級のゴーリー Rogie Vachon が入団すると、レギュラーシーズンのポイントこそ105から85に落ちはしたものの、チーム力は強化された。プレイオフ第1ラウンドでアトランタ・フレームスを2試合で片付けたのち、ボストン・ブルーインズに第7試合で惜敗した。この翌年も全く同様に、フレームスを退けたが、ブルーインズに敗れた。 スマイス地区に移籍する1981-1982 シーズンを迎えるまでの間、チームは毎シーズン、プレイオフ第1ラウンドでの敗退を繰り返した。スマイス地区では、24-41-15の成績のキングスが、48-17-15の好成績を収め当時地区で一人勝ちの状態であったエドモントン・オイラーズを3戦2勝で破るという大番狂わせを演じた。(その後キングスは、バンクーバー・カナックスの前に敗れる。) その後、1984-1985シーズンに至るまでプレーオフ進出は再びお預けとなった(このシーズンはオイラーズがスタンレーカップを獲得するが、その過程でキングスを3試合で葬り去った。)。 1986-1987シーズンでは、ベテランとなったディオンヌをトレードで放出し、プレイオフでオイラーズに敗れる。翌1987-1988シーズンでもプレーオフ進出に見放され、この時点でチームは第2ラウンド進出はおろかbest-of-seven のプレーオフにさえ進出した経験がなかったのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロサンゼルス・キングス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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