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『キプロスの女王ロザムンデ』(''Rosamunde, Prinzessin von Zypern'' )作品26、D797は、フランツ・シューベルトが同名のロマン劇のために作曲した劇付随音楽である。『ロザムンデ』と略される。 ==概要== この付随音楽は、ベルリン出身の女流作家ヘルミーネ・フォン・シェジー(1783年 - 1856年)の戯曲『キプロスの女王ロザムンデ』のために作曲された。シェジーは1823年の10月にウェーバーの歌劇『オイリアンテ』の台本を書き、その初演に立ち会うためにウィーンに滞在していたが、10月25日にケルントナートーア劇場で行なわれた上演が不評だったため、急遽名誉挽回のために『ロザムンデ』を12月20日に書き上げ、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で上演した。しかし劇は翌日再演されただけで上演が打ち切られてしまった。その劇音楽の作曲を依頼されたのがシューベルトで、12月20日の初演までの短い期間で、10曲からなる付随音楽を完成させた〔付随音楽の作曲は、1823年11月30日から12月18日の間に行われた。〕〔音楽の手帖 シューベルト、青土社、1980年、巻末年表による。〕。 この時、序曲だけが間に合わず、その前年に作曲された歌劇『アルフォンソとエストレッラ』D732の序曲を転用した。『アルフォンソとエストレッラ』は、シューベルトのかなりの自信作であったが、ウィーンで上演されることがなかったため、序曲だけでも人々の耳に触れさせるために意図したと考えられている。後に、1820年に作曲されてかなりの評判を得た劇付随音楽『魔法の竪琴』D644の序曲が『ロザムンデ』の序曲として転用された。この『魔法の竪琴』序曲の自筆の草稿には、後に何者かによって『ロザムンデ作品26』というタイトルが書き込まれていて、かなりややこしくなっている。 上述の通り、1823年12月20日に初演がアン・デア・ウィーン劇場で行なわれたが、台本の稚拙さゆえに失敗に終わってしまった。舞台は貧弱で、主役の女優が下手だったことや、ウェーバーとシューベルトが『オイリアンテ』のことで仲違いをしたために、ウェーバーの支持者たちが可能な限り上演を妨害したからだといわれている。しかしシューベルトの音楽は、初演当時から好評をもって迎えられたのは事実であり、現在でも部分的にはたびたび演奏されている。 『ロザムンデ』の台本は散逸してしまったと考えられてきたが、最近になって発見され〔 〕、1996年に出版された〔 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キプロスの女王ロザムンデ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Rosamunde 」があります。 スポンサード リンク
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