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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ロザリーン・ミリアム・ノートン(Rosaleen Miriam "Roie" Norton, 1917年10月2日 – 1979年12月5日)は、オーストラリアの芸術家、オカルティスト。ソーン(Thorn、棘の意)名義で作品を残した。汎神論的または復興異教主義的魔女術の儀式を行い、牧羊神パーンを信奉した。後半生はシドニーにあるボヘミアンのたまり場、キングス・クロスで暮らした。そのため、いつしか彼女はタブロイド紙などで「キングス・クロスの魔女」と呼ばれるようになり〔Drury 2009. p. 07.〕、ロザリーン自身もそこで「(魔女の集会の意)」を主宰した。 ノートンの描いた絵は、イギリスのオカルト芸術家、オースティン・オスマン・スペアと比較されたこともあるが〔Drury 2009. p. 207.〕、異教の神々やデーモンといった超自然的な存在が描かれたものが多く、時にはそれらが性的な行為をする姿が表現された。そのため、オーストラリアが社会的にも政治的にも保守化した1940年代と1950年代に、一大論争を巻き起こした。当時はキリスト教が支配的な信仰であって、ちょうど、政府が検閲を厳しくしようとしていたときだった〔Drury 2009. p. 07.〕。このため、警察はロザリーンの作品を手荒に取り扱い、展覧会から作品を取り除いたり、作品が載っている本を押収したりした。また、ことあるごとにロザリーンを公然猥褻のかどで起訴しようとした。 のちに彼女の伝記を書いたネヴィル・ドルーリーは、「ノートンの密儀的信仰、世界秩序観、視覚芸術はすべて密接に絡み合っている。そしてそれらは、魔術的世界に対するユニークなアプローチの反映なのだ」と書いた。 彼女は「魔術の夜の側面」に影響を受け、闇を強調し、クリフォトの研究をするとともに、イングランドのオカルティスト、アレイスター・クロウリーの著作から学び取った性の秘儀を行った。〔Drury 2009. p. 08.〕 == 生涯 == === 1917年–1934年 === ロザリーン・ノートンは、ニュージーランドのダニーデンにて、早朝の4時30分ごろ、雷がとどろく嵐のさなかに生誕した。生まれついた家庭は彼女の生まれる何年か前にイングランドから移住してきた中流階級の一家で、アングリカン・チャーチを信仰していた。ロザリーンは三人姉妹の末娘だった〔Drury. 1988, p. vii.〕。姉のセシリーとフィリスとは十以上も年が離れていた。ロザリーンは、後年になってよく、自分は魔女に生まれついたのだと語った。その証拠に、自分の体には、先の尖った耳、左ひざに青い斑、体から垂れ下がった肉の房が生まれたときからあった、という〔Drury 2009. p. 09-13.〕。1925年6月、彼女自身が8歳の時に、一家はオーストラリアのシドニーへ移民した。居住先はリンドフィールドのウォルズリー街。子供のころは型にはまったことが大嫌いで、他の子どもたちをあまり好まず、母親のような権威のある大人のことも好きではなかった。母親のビーナとの仲はぎくしゃくしており、船乗りだった父親のアルバートは、一家が快適に暮らせるだけの収入をもたらしてくれてはいたが、いつも家にいなかった〔Drury 2009. pp. 13-14.〕。経済的な不自由はなかったが、後年ロザリーンは当時のことを「大人の顔色を窺ったり、この子と付き合いなさいと言われた大嫌いなうっとうしい子供たちの顔色を窺ったりで、無意味なシボレスの日々、親に叱られどおしの日々で、常にうんざりさせられていたわ」と回想する〔Drury 2009. pp. 14-15.〕。このため彼女はいつも一人ぼっちだった。家では寝られず、庭にテントを張って3年間、そこで寝た。テントの入り口にホレイティアス(ホラティウスを参照)と名付けたクモを飼い、他にも、ネコ、トカゲ、カメ、カエル、ヤギもペットとして飼った。〔Drury 2009. p. 15.〕 ロザリーンは、イングランド国教会女学校に入学させられるが、悪魔や吸血鬼などの絵をかいてばかりいて他の生徒たちに悪い影響を与えると教師たちが苦情を言い、破壊的だとして最終的にそこを追い出されてしまう。その後は東シドニー工科大学に出席し始め、彫刻家ののもとで美術を学んだ。ホーフはロザリーンの芸術的才能を高く評価し、ロザリーンもホーフのことを非常に尊敬した。〔Drury 2009. pp. 15-16.〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロザリーン・ノートン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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