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ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国旗は、その施行規則によれば「ロシア共和国の主権、他の対等なソビエト連邦構成共和国との自発的交流、労働者・農民・知識人の破られることのない団結、共産主義社会を築くすべての民族・国籍の労働者の友好と兄弟愛の象徴」とされる。 == 変遷 == 1917年の十月革命後、ボリシェヴィキの支配するロシア社会主義連邦ソビエト共和国は、新たな国旗を制定する必要に迫られた。この時点までは、ロシア帝国が1914年に国旗および商船艦尾旗として定められた白・青・赤の三色旗、そして軍艦旗として定められたが使用され続けていた。 1917年11月18日(ユリウス暦11月5日)に第一全ロシア船員会議の第1回会議において採択された決議では、「すべてのロシア軍艦がソビエトの労働者・兵士・農民の代議員による民主主義を擁護するために個々人として立ち上がったことを象徴するような国際旗」をアンドレイ旗の代わりとして掲げることが決議された。そしてグレゴリオ暦12月5日には、バルチック艦隊の司令船クレチェト (ru) に、司令艦旗上に十字状に (、すなわち「ロシア共和国自由艦隊」) と赤く刺繍されたものが、の軍令部旗として掲げられた〔。 続いて翌1918年4月14日にが採択した「ロシア共和国の旗について」の議決にはこうある。 同月20日の艦隊・海軍省第320号法令においてこの旗は国旗・軍旗として採用され、同時に小さなサイズの旗に対しては文字を と略記することも定められた。だが2か月後、全露中執委幹部会は、外務人民委員部 (ru) を代表してグラフィック・デザイナーのが作成した新たな国旗のデザイン(赤旗の左上にスラヴ風に装飾した の文字を配し、その部分を金色の帯で四角形に分割したもの)を承認した。 新たなデザインの国旗は、6月16日の艦隊・海軍省第434号法令により採用された。ただし、同年8月に中執委幹部会が発行したパンフレットにおいては、国旗のデザインは上に定められたものとは異なり、縦横比5対8の赤旗の左上に、 の文字が十字状にレイアウトされたものが掲載されている。しかし、このデザインの国旗が実際に使用されたかは定かでなく、実際には6月に制定された国旗が1937年まで使用されていた。1925年5月からの新たなロシア共和国憲法 (ru) においては、文言の上で初めて「国旗」の概念が明確化された。しかし、国旗のデザイン自体は1918年に定められたものから変更されていない。 その後、1937年1月21日の第17回臨時ソビエト大会で新たに採択されたロシア共和国憲法 (ru) において、国旗のデザインには次のような変更が加えられた。 1947年2月になると、ソビエト連邦最高会議幹部会は各ソ連構成共和国の国旗を刷新する方針を固め、新たな国旗はソビエト連邦の国旗(赤旗に赤い星と鎌と槌を配したもの)をベースとして、各共和国の歴史的・文化的シンボルを取り入れたものとなった。ロシア共和国の新たな国旗は、ヴァレンチン・ヴィクトロフによるデザインが1954年1月9日にロシア共和国最高会議幹部会によって承認され (s:ru)、同年6月2日に憲法第149条にも追記された (s:ru)。 翌1955年12月23日、ロシア共和国最高会議幹部会は国旗についての法令を承認し、その細則を次のように取り決めた。1981年1月22日には新たな最高会議幹部会令によって、国旗の裏面には鎌と槌と星を表示しないことが定められた。 1991年8月22日、ロシア共和国最高会議は「水平方向に白、瑠璃色、緋色の帯を等幅に配した布」をロシア連邦の新たな国旗とする、と決定した。同年12月1日、ロシア共和国憲法にも国旗の変更が反映された (ru, ru)。 直後の12月25日、ソ連崩壊を以てロシア・ソビエト連邦社会主義共和国はロシア連邦となり、1993年12月11日に新たなロシア連邦国旗が制定された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国旗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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