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ロジャース・ホーンスビー : ミニ英和和英辞書
ロジャース・ホーンスビー[びー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ジャー : [じゃー]
 【名詞】 1. jar 2. (n) jar
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee

ロジャース・ホーンスビー : ウィキペディア日本語版
ロジャース・ホーンスビー[びー]

ロジャース・ホーンスビーRogers Hornsby1896年4月27日 - 1963年1月5日)は、アメリカメジャーリーグの野球選手、及び監督。主なポジションは内野手テキサス州ウィンタース生まれ。右投げ右打ち。打席での堂々とした振るまいやロジャースという名前の響きから、"the Rajah"ラージャ=インドの王様)という愛称で呼ばれた。テッド・ウィリアムズとともにメジャーリーグ打撃三冠王を2度獲得した選手。
==来歴・人物==

===デビュー - 1910年代===
1915年のシーズン終盤、19歳の時にマイナーのウェスタン・アソシエーションリーグに参加していたデニソンという球団から、セントルイス・カージナルスに入団、早速メジャーの試合にデビューし18試合に出場する。カージナルスには遊撃手として入団したが内野はどこでもこなせたようで、2年目の1916年には一塁から三塁まで内野の4つのポジション全てをこなし、1917年には遊撃手として当時のメジャー記録に並ぶ1試合14補殺という守備記録も打ち立てている。ただホーンスビーは、高く上がったポップフライを捕るのが苦手、という弱点があった。背走したり真上を向いたりした際に、彼の平衡感覚に異常が生じるためだった。
その後2度の三冠王になるホーンスビーの打撃の凄さは、入団2年目に早くも開花しはじめていた。1916年の打率は.313、15本もの三塁打を放ち、長打率は既に.444になっていた。翌1917年に打率は.327と更に上昇し、三塁打17本はリーグ最多となり、リーグトップの長打率.484の成績を残すまでになっていた。ホーンスビーは打席に入ると、バッターボックスの一番後ろのベースから遠い角に立って構え、そこから大股で内側へ大きく踏み込みながら、完璧なレベルスイングで強烈なラインドライブを右に左に打ち分けていた。一塁を廻るスピードも速かったため、多くの打球が単打で終わらず二塁打や三塁打になった。加えてホーンスビーは生真面目で冷静な性格だった。退場処分は1918年に2回があるだけで、それ以後は審判の判定に文句をつけることも殆どしなくなっていた。徐々に選球眼もよくなっていったようで、他チームの投手から恐れられていた1920年代前半には、大きく踏み込む打撃スタイルのために最も苦手にしていた「内角高め」の投球に対し、ホーンスビーがのけぞる姿勢を見せると、審判がボールとコールするようになってしまっていたという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロジャース・ホーンスビー」の詳細全文を読む




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