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サー・ロジャー・ジョージ・ムーア(''Sir Roger George Moore KBE'' 、1927年10月14日 - )は、イギリス出身の俳優。1973年から1985年の間に、イギリスの大人気スパイ映画『007』シリーズで、7作にわたってジェームズ・ボンドを演じた(これは2016年現在、歴代最多である)。身長は185cm。 ==人物== ロンドンのストックウェルで警察官の息子として生まれる。バッキンガムシャー、アマーシャムのドクター・シャロナーズ・グラマースクールに入学。1940年代に映画にエキストラ出演した後に軍隊に入隊し、第二次世界大戦中はイギリス軍の娯楽部隊に所属した。 除隊後に再び大部屋俳優になり、モデルやテレビのステージ・マネージャーなどの職業も経験した。1950年代に入ってアメリカに渡り、テレビドラマに出演する下積み生活が続いた。1954年、MGM映画『雨の朝巴里に死す』に出演、同年MGMの契約俳優となる。 1962年、テレビシリーズ『セイント 天国野郎』に主演してスターの地位を得る。1971年からの『ダンディ2 華麗な冒険』などのテレビシリーズでも活躍した。 日本では7代目トヨタ・コロナ(T140系、最後のFRコロナ)のCMキャラクターを務めたことでも知られている。ムーアはCMや広告に登場したばかりではなく7代目コロナのカタログにも登場している。また、複数回来日している。 俳優として活躍する一方、ユニセフ親善大使(オードリー・ヘプバーンに勧められたという)などボランティア活動にも精力的で、2003年にはナイトの称号を与えられた。同年にはブロードウェイの舞台で倒れ、病院に搬送される騒ぎもあった。 2007年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星を獲得した。式典には007の宿敵ジョーズを演じたリチャード・キールや、『007 死ぬのは奴らだ』で共演したデヴィッド・ヘディスン、女優ステファニー・パワーズらが出席した〔が、ムーアが星の前でひざまずいた後、立ち上がるのに人手を借りねばならない一幕もあった。2008年には初めての自伝 "My Word Is My Bond" を上梓、また仏芸術文化勲章の最高章であるコマンドゥールを授与された。 私生活では、4度の結婚をしている。2人目の妻である歌手のドロシー・スクワイアーとは1961年に破局したが、彼女がその後8年間離婚を拒んだため、ムーアと後述するルイザ・マッティオリとの間の子供のうち2人は、庶出子となってしまった。ドロシーは1998年に死去したが、2009年になってムーアはドロシーが子供の頃住んでいた家に300ポンドのブルー・プラークを贈った。 3人目の妻である元女優のルイザ・マッティオリとの間には2男1女がおり、子供の中でジェフリーとデボラは俳優になった。1994年、ムーアがルイザに電話で二人の38年間の関係は終わったと告げ、1993年に患った前立腺癌のためリヴィエラで療養中、ルイザの親友であるクリスティナ・ソルストラップと恋愛関係になっていたことが明らかになった。2002年に1億ポンド(スターリング・ポンド)の慰謝料でルイザとの離婚が成立すると、ムーアは74歳でクリスティナとモンテカルロで秘密裏に結婚式を挙げたが、このときムーアの子供は誰も出席しなかった。しかし、2007年のハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム殿堂入りの際には、妻クリスティナとムーアの3人の子供がそろって出席した〔。 日本語吹替えは『007 死ぬのは奴らだ』以降、広川太一郎が持ち役としていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロジャー・ムーア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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