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ロタール3世 : ミニ英和和英辞書
ロタール3世[よ, せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ロタール3世 ( リダイレクト:ロタール3世 (神聖ローマ皇帝) ) : ウィキペディア日本語版
ロタール3世 (神聖ローマ皇帝)[ろたーる3せい]

ロタール3世(Lothar III, 1075年6月 - 1137年12月3日)は、ザクセン公(在位:1106年 - 1137年)、ドイツ王(在位:1125年 - 1137年)、神聖ローマ皇帝(在位:1133年 - 1137年)。国王選挙によって選ばれたズップリンブルク家菊池良生著『神聖ローマ帝国』では「ズッペリンゲンベルク家」と記されている。〕の王、皇帝。ズップリンブルク家の王位は1代限りだった。
== 生涯 ==

=== ザクセン公領の継承 ===
1075年、父ゲープハルトが神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世との戦いで戦死した後に遺腹の子として生まれた。当初はザクセンにそれほどの勢力を持たなかったが、結婚とそれに伴う相続によって領土を拡大、1106年にハインリヒ5世からザクセン公マグヌス亡き後のザクセン公に選ばれた。しかし、ハインリヒ5世と対立し、1115年ヴェルフェスホルツ(現在のマンスフェルト近郊)で帝国軍を撃破、王権をザクセンから排除した。
1123年にアイレンブルク伯兼マイセン辺境伯ハインリヒ2世が死去、ハインリヒ5世がグロイチュ伯ヴィプレヒト2世をマイセン辺境伯に指名するとこれに反発、ハインリヒ2世の従叔父のコンラートと組んでヴィプレヒト2世を追放、マイセン辺境伯領をコンラートに、ラウジッツをバレンシュテット伯アルブレヒト熊公に与えた。ハインリヒ5世はこの事態に対処しようとしたが、1125年に死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロタール3世 (神聖ローマ皇帝)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lothair II, Holy Roman Emperor 」があります。




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