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ロッキー・サンタナ : ミニ英和和英辞書
ロッキー・サンタナ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ロッキー・サンタナ : ウィキペディア日本語版
ロッキー・サンタナ[ちょうおん]

ロッキー・サンタナ(''Rocky Santana''、本名:ビクトル・マヌエル・バルガス・アブレウ(Victor Manuel Vargas Abreu)、1955年7月26日 - )は、メキシコプロレスラー(元覆面レスラー)。メキシコシティ出身。
父はエル・ディアブロ・ロホ、妻はネフタリ〔。
== 来歴 ==
5年間のアマレスの経験を経て、ビジャノ1号にルチャを学び、1972年9月15日にプリンシペ・ヒッピーの名で対アストゥシア戦でデビュー。1982年エル・ブロンコらとロス・デュイアボリコス(Los Diabolicos)を結成。
1987年にトリオを解散。1991年アメリカン・コミックティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズのパロデューギミックのロス・トルトゥギージョス・カラテカス(Los Tortuguillos Karetekas)のトルトゥギージョ・カラテカ1号のマスクマンに転身、UWA(ユニバーサル・レスリング・アソシエーション)/LLIEMLLなどに転戦した。しかし1992年8月9日にはLLIにてスコルピオ・ジュニアコントラ・マッチに敗れ素顔になる〔。1992年9月6日にUWA世界ライト級王座を奪取。
1993年にはロッキー・サンタナの名でみちのくプロレスに来日。3月12日の後楽園ホールにてトルトゥギージョ・ニンハでスペル・デルフィンとコントラ・マッチに敗れ素顔になる、また3月23日にはデルフィンの持つにUWFスーパーウェルター級王座に挑戦したが戴冠に至らなかった。
この頃、大仁田厚に風貌が似ていると話題になり、「大仁田」コールが起きたり、サンタナ自身もそれを意識したのか、大仁田が水を口に含んで吹き出すパフォーマンスを真似している。
1994年6月6日にUWA世界トリオ王座を奪取。
1996年から1998年大日本プロレスに来日。なお大日本ではシャドウ7号のリングネームも用いた。2000年5月の大阪プロレス1周年記念の大会ではニセ大仁田のリングネームで、大仁田厚本人とシングルマッチを行い、2002年には元FMW冬木弘道が設立したWEWに来日、その流れで冬木軍の興行にも出場。
2005年にはDDTZERO1にニセ大仁田で来日。
またリアルジャパンプロレスに参戦するブラック・シャドーもロッキー・サンタナ説がある。
本国メキシコではインディマットのAULL(アリアンサ・ウニベルサル・デ・ルチャ・リブレ、Alianza Universal de Lucha Libre)のブッカーをしていた、現在は離れているが試合には出場している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロッキー・サンタナ」の詳細全文を読む




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