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ロッティ・ドッド(Lottie Dod, 1871年9月24日 - 1960年6月27日)は、イングランド・ベビントン出身の女子テニス選手。本名は「シャーロット・ドッド」(''Charlotte Dod'')といい、愛称の「ロッティ・ドッド」の名前で最もよく知られる。1887年のウィンブルドン選手権に「15歳10ヶ月」の最年少優勝記録を持つ選手として知られる。ウィンブルドン選手権の女子シングルスでは1887年・1888年・1891年-1893年(大会3連覇)の5度優勝した。兄はアーチェリー選手のウィリアム・ドッドであり、彼女も1908年ロンドン五輪のアーチェリーで銀メダルを獲得している。 ウィンブルドン選手権は1877年に創設されたが、女子シングルスはそれから7年後の1884年に第1回の競技大会が行われた。したがって、ドッドは第4回大会の優勝者にあたる。当時のウィンブルドン選手権では、試合方式も現在とは大きく異なり、「チャレンジ・ラウンド」(Challenge Round, 挑戦者決定戦)を勝ち抜いた選手と大会前年優勝者が決勝を戦う「オールカマーズ・ファイナル」(All Comers Final)方式を採用していた。1887年の大会で、ドッドはチャレンジ・ラウンドを勝ち上がり、前年優勝者のブランチ・ビングリーを 6-2, 6-0 で破って初優勝を飾った。これが「15歳9ヶ月」の女子テニス史上最年少優勝記録であるが、当時はテニス競技自体が黎明期にあり、テニス人口もまだ少なく、競技方式も現在とは大きく異なっていた。 ドッドは1888年、今度は前年優勝者としてチャレンジ・ラウンドの優勝者を待ち、前年と同じブランチ・ビングリーを 6-3, 6-3 で破った。この年からビングリーは既婚選手として「ブランチ・ビングリー・ヒルヤード」(Blanche Bingley Hillyard)と名乗っている。1889年と1890年の2年間、ドッドはアイスホッケーとアーチェリーの英国代表選手としてプレーしたため、一時的にウィンブルドン選手権を退いた。それから再びテニスに戻り、1891年-1893年までウィンブルドンに大会3連覇を成し遂げたが、決勝戦の相手はすべてビングリーであった。したがって、ドッドは通算5度の優勝のすべてをビングリーと決勝対決したことになる。 その後ドッドはテニス界を退き、ゴルファーに転向する。ゴルファーとしても実績を残し、1904年に「全英女子ゴルフ選手権」(British Ladies Golf Championship)で優勝した。1908年には再度アーチェリーに挑戦して、ロンドン五輪で銀メダルを獲得している。多芸多才な女子スポーツ選手であったことから、ロッティ・ドッドには“The Little Wonder”(小さな奇跡)というニックネームがつけられた。ドッドは長寿にも恵まれ、1960年6月27日に88歳で長逝した。23年後の1983年に国際テニス殿堂入りしている。 == 主な競技成績 == * ウィンブルドン選手権・女子シングルス:5勝(1887年・1888年・1891年-1893年) [1887年の初優勝は15歳9ヶ月、大会最年少記録] * 全英女子ゴルフ選手権:1904年優勝 * 1908年ロンドンオリンピック:アーチェリー・ナショナル・ラウンド60y, 50y団体銀メダル 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロッティ・ドッド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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