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ロデニ()はキエフ・ルーシ期の要塞都市である。キエフの南、ドニエプル川へローシ川が流入するあたりに位置した。 考古学的研究からは、最初の居住者は7 - 8世紀と目されている。また、ロデニは東スラヴ民族の部族にとって主要な地であり、彼らにおける万物の創造神を崇拝する場所であったという説がある。ロデニの文化・経済的発展の全盛期は9 - 12世紀であり、ロデニは沿ローシ川防衛線中の単なる要塞都市にとどまらず、交易の中心地としても機能した。ポリュージエの後には、ロデニ付近で、ビザンツ帝国へ向かう船の整備や、物品の積み込みが行われた。B.ルィバコフ(ru)は、ロデニは、10世紀のアラブの歴史書にルーシの3つの国のうちの1つとして記されるアルタニヤ(ru)を、ロデニに比す仮説を提唱した。 スヴャトスラフ1世の治世には、ロデニにはテレム(ru)(Те́рем / 中世ルーシの屋階・楼・居城を指す言葉〔井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、p1110〕)のある屋敷があった。980年には、キエフ大公位をめぐる闘争の過程において、ロデニに退避したヤロポルク1世が、包囲戦の後殺害されている。 ロデニはモンゴルのルーシ侵攻によって破壊され、その後復興することはなかった。 ==出典== 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロデニ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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