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ロトルア : ミニ英和和英辞書
ロトルア
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ロトルア : ウィキペディア日本語版
ロトルア

ロトルア(、)は、ニュージーランド北島ベイ・オブ・プレンティ地区にある、ロトルア湖の南岸に位置する都市である。ロトルア・ディストリクト地方政府の一部に含まれる。都市の人口2006年国勢調査によれば65,901人である。タウランガの60km南、ハミルトンの105km南東、タウポの82km北東にある。ロトルア・ディストリクトはベイ・オブ・プレンティ地区(61.52%)とワイカト地区(38.48%)の面積比で分かれて属している。ロトルアの郊外にはノンゴタハ(Ngongotaha)、フェアリー・スプリングス(Fairy Springs)、カワハ・ポイント(Kawaha Point)、ウェスタン・ハイツ(Western Heights)、マンガカカヒ(Mangakakahi)、ウトゥヒナ(Utuhina)、オヒネムトゥ(Ohinemutu)、ヒルクレスト(Hillcrest)、グレンホルム(Glenholme)、フォードランズ(Fordlands)、スプリングフィールド(Springfield)、フェントン・パーク(Fenton Park)、ワカレワレワ(Whakarewarewa)、ティヒオトンガ?(Tihiotonga)、リンモア(Lynmore)、テナエ(Te Ngae)、オウハタ(Owhata)、ハナーズ・ベイ(Hannahs Bay)、ホールデンズ・ベイ(Holdens Bay)、ロトカワ(Rotokawa)が存在している。
ロトルアは地熱活動で知られている。多くの間欠泉があり、ワカレワレワ(Whakarewarewa)のポフツ間欠泉(Pohutu geyser)は有名である。ロトルアカルデラ(Rotorua Caldera)に由来する熱い泥池が市内各所にある。
ロトルアは北へはステートハイウェイ5号線、東へは33号線、西へは30号線、南へは5号線でつながっている。タウランガへ行く増加しつつある通過交通は、ノンゴタハ(Ngongotaha)、カハロア(Kaharoa)、パイズ・パ?(Pyes Pa)を経由する新しく完成したステートハイウェイ36号線をよく選択する。
ロトルア地方空港(Rotorua Regional Airport)からターボプロップ機による運行がオークランド国際空港ウェリントン国際空港の間に、またクライストチャーチ国際空港との間にターボプロップ機とジェット機による運行が行われている。滑走路を延長してタスマン海横断飛行を可能にする計画が進行中である。
ロトルアへはプタルル(Putaruru)から北へ延びる支線で鉄道網とも結ばれているが、現在は使われていない。
== 歴史 ==

ロトルアという言葉はマオリ語の''Te Rotorua-nui-a-Kahumatamomoe''から来ている。''roto''は湖、''rua''は2番目のという意味で、ロトルアという言葉は2番目の湖という意味になる。Kahumatamomoeは、マオリ族のテ・アラワ部族(Te Arawa)の先祖の探検者、酋長イヘンガ(Ihenga)のおじである〔Wises New Zealand Guide, 7th Edition, 1979. p383.〕。湖は、イヘンガが発見した2番目の大きな湖で、彼はこれをおじに捧げた。
この地域には当初マオリ族のテ・アラワ部族が居住した。この地域にやってきた最初のヨーロッパ人はおそらくフィリップ・タプセル(Phillip Tapsell)で、ベイ・オブ・プレンティ地区の海岸のマケトゥ(Maketu)から1828年以来取引を行っていた。彼は後にテ・アラワ部族に婿入りし、彼らに高く尊重された〔New Zealand Encyclopaedia 1966: Tapsell Biography 〕。宣教師のヘンリー・ウィリアムズ(Henry Williams)とトーマス・チャップマン(Thomas Chapman)は1831年にこの地を訪れ〔、チャップマンとその妻はテ・コウト(Te Kouto)に1835年に教会を設置した〔New Zealand Dictionary of Biography: Thomas Chapman 〕。これは年内に廃止されたが、チャップマンは1838年に戻りマコイア島(Mokoia Island)に2番目の教会を設置した〔〔。
湖岸は1860年代のニュージーランド戦争(New Zealand land wars)に際して重要な戦いの場となった。"特別街区"(special town district)がロトルアの温泉地としての可能性のために1883年に設置された。町はロトルア支線の開通によってオークランドと結ばれ、ロトルア・エクスプレス(Rotorua Express)の運行が1894年に始められた。これにより町は急速に発展し、観光地となっていった。ロトルアはボロー(borough)として1922年に設置され、1962年に市に昇格し、1979年に地区(district)になった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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