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ロドリゴ・ムニョス・ロペス(Rodrigo Muñoz López, 1975年12月14日 - )は、メヒコ州トラルネパントラ・デ・バス出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 == 経歴 == 8歳の頃にフェルナンド・バレンズエラに憧れて野球を始める〔「大物ルーキー来日記念ストーリー ロドリゴ・ロペス ボルティモア・オリオールズ」 『月刊スラッガー』2003年1月号、日本スポーツ企画出版社、2002年、雑誌15509-1、59頁。〕。にメキシコ夏季リーグ "リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル" でプロデビュー。3月17日にサンディエゴ・パドレスと契約してアメリカ合衆国に渡る。にメジャーデビューを果たし6試合に登板するが、翌は右肩を痛めたためメジャーでの登板機会がなく、シーズン終了後の10月15日にFAとなった。 その後メキシコ冬季リーグ "リーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコ" やカリビアンシリーズでの好投が認められ、2001年11月23日にボルチモア・オリオールズと契約。、オリオールズはロペスを傘下のマイナーリーグAAA級で投げさせるつもりだったが、スプリングトレーニングでリリーフとして好投したため開幕メジャー入りさせる。4月下旬にロペスは不振のジョシュ・タワーズに代わって先発ローテーション入りし、「ロドリゴはおそらく、我々にとって最大の驚きだ」(マイク・ハーグローヴ監督)、「賭けで大当たりが出たようなものさ」(エド・ケネディ選手育成部門副社長特別補佐)と味方からも驚かれるほど〔の好投を続ける。7月には球団史上1979年5月のデニス・マルティネス以来となる月間6勝0敗を記録し、月間最優秀新人に選出された。最終的に新人選手としてリーグ最多の15勝を挙げ〔、新人王投票では2位となった〔"Baseball Awards Voting for 2002 ," ''Baseball-Reference.com''. 2008年2月19日閲覧。〕。 その後は先発登板を中心に、毎年約35試合に登板し、開幕投手を3回(2003年、2005年 - 2006年)務めた。しかし、この年からオリオールズの投手コーチに就任したレオ・マゾーニーに「早いカウントではファストボールでストライクを取れ」と指導されたことで、テンポよく打たせて取る自分の投球スタイルを見失う〔田尻賢誉 「MLB30球団最新レポート&全選手個人成績 コロラド・ロッキーズ/COL 名伯楽マゾーニから離れ自分の投球スタイルで復活へ」 『月刊スラッガー』2007年6月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-6、88頁。〕。最終的にリーグ最多敗戦・最多自責点を記録した。シーズン開幕前に行われた2006年のワールド・ベースボール・クラシックにはメキシコ代表として出場したが、米国戦と韓国戦の2試合に登板して2敗を喫している。 翌1月12日にマイナーリーガー2人とのトレードでコロラド・ロッキーズに移籍。同年、14試合登板に留まり、4月から5月にかけて右肘を痛め、6週間戦線を離脱〔。7月26日のドジャース戦で腕を痛め、故障者リスト入りとなり、8月22日にトミー・ジョン手術を受けた。シーズン終了後の10月31日にFAとなった。 手術から1年後の8月22日にアトランタ・ブレーブスと契約したが、メジャーに昇格することなくシーズンを終えた。3月5日、フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約。アントニオ・バスタードの故障者リスト入りによってメジャー昇格を果たし、7月3日のメッツ戦で2年ぶりにメジャーで登板した。7試合の登板で防御率5.70の成績で9月8日に解雇された。12月16日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。 は招待選手としてスプリングトレーニングに参加。6試合の登板で防御率1.64、WHIP0.91と好投し開幕メジャー入りを果たす。レギュラーシーズンでは200イニングを投げ4年ぶりに規定投球回に到達したが、両リーグ最多の37被本塁打と2度目のリーグ最多敗を喫した。11月1日にFAとなった。 1月31日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び、5月26日にライアン・ブッチャーとのトレードでシカゴ・カブスへ移籍した。10月30日にFAとなった。 1月19日にカブスと再契約した。11月3日にFAとなった。 は第3回WBCメキシコ代表に選ばれた。1月22日にフィリーズとマイナー契約を結んだが、3月22日にフィリーズを解雇された。その後メキシカンリーグの古巣・メキシコシティ・レッドデビルズに加入した。メキシコシティでは15試合に登板し、4勝3敗、防御率5.49だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロドリゴ・ロペス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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