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ロナルド・ポニョン : ミニ英和和英辞書
ロナルド・ポニョン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ロナルド・ポニョン : ウィキペディア日本語版
ロナルド・ポニョン

ロナルド・ポニョン(Ronald Pognon、1982年11月16日 ‐ )は、フランスの男子陸上競技選手。専門は短距離走100mで元フランス記録の9秒99、200mで20秒27、室内60mでフランス記録(元ヨーロッパ記録)の6秒45の自己ベストを持つ。ロンドンオリンピック4×100mリレー銅メダリスト、2005年ヘルシンキ世界選手権の4×100mリレー金メダリストである。
カリブ海に浮かぶフランスの海外県マルティニーク出身のスプリンター。2005年に室内60mで6秒45のヨーロッパ記録(当時)を樹立すると、100mでは9秒99のフランス記録(当時)を樹立し、10秒の壁を突破した初のフランス人となった。個人種目では世界大会のメダルを獲得できなかったが、4×100mリレーでは2005年ヘルシンキ世界選手権で2走を務めて金メダル、2012年ロンドンオリンピックでアンカーを務めて銅メダルを獲得している。
== 経歴 ==
2005年2月6日、(室内の大会)の60mで6秒51のフランス記録(当時)を樹立し、1998年にがマークした6秒53を塗り替えた。
2005年2月13日、(室内の大会)の60m予選で6秒51のフランスタイ記録(当時)をマークすると、決勝では6秒45のヨーロッパ記録(当時)を樹立。1999年にイギリスのジェイソン・ガードナーがマークした6秒46を更新した。
2005年7月5日、ローザンヌ国際の100mで9秒99(+1.8)のフランス記録(当時)を樹立。1990年にダニエル・サングーマがマークした10秒02を塗り替え、フランス人初の9秒台という快挙を達成した〔。
2005年8月、ヘルシンキ世界選手権に出場すると、100mは準決勝、200mは2次予選で敗退した。しかし、4×100mリレーは予選でフランスチーム(Oudéré Kankarafou、ポニョン、Eddy De LépineLueyi Dovy)の2走を務め、38秒34の今季世界最高記録をマークして決勝に進出した。迎えた決勝でもフランスチーム(ラッジ・ドゥクレ、ポニョン、Eddy De LépineLueyi Dovy)の2走を務め、予選のタイムを更に縮める38秒08の今季世界最高記録をマークしての金メダル獲得に貢献した。この種目では世界選手権オリンピックを通じ、フランス男子勢初の金メダル獲得となった。
2012年8月11日、ロンドンオリンピックの4×100mリレー決勝でフランスチーム(ジミー・ヴィコクリストフ・ルメートルピエール=アレクシス・ペソノ、ポニョン)のアンカーを務め、38秒16をマークしての4位(当時)に貢献した。大会から3年が経った2015年、銀メダルを獲得したアメリカチームのメダルが剥奪され、フランスの順位は3位に繰り上がり銅メダルを獲得した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロナルド・ポニョン」の詳細全文を読む




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