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ロナルド大森(Ronald Oomori、ロナルド・オオモリ、1942年8月19日〔 - )は、アメリカ合衆国ワシントン州〔出身の元プロ野球選手(内野手)。日系三世〔。 ==来歴・人物== シアトル大学を休学して来日し〔、に広島へテスト入団した。しかし、全く一軍出場が叶わないまま同年末に退団。その後、プロ野球界に戻る事はなかった。 選手としては全く活躍できなかったが、特筆すべき点は2つある。 * 1つは、広島カープ初のアメリカ本土出身選手という点である。広島の外国人選手は、の竹村元雄(日本統治時代の台湾出身)まで遡るが、竹村以外は全てハワイ準州出身者で(銭村健三、光吉勉、銭村健四、平山智〔公式資料ではハワイ出身となっているが、カリフォルニア州で生まれ育ち、ハワイにいる時に銭村健一郎(健三、健四の父親)の誘いで広島に入団した。〕、新田幸夫)、アメリカ合衆国本土出身者はいなかった。大森の退団後は、入団のジム・ヒックスまで、アメリカ合衆国本土出身のカープ外国人選手は現れなかった。 * もう1つは日本プロ野球界で初めて背番号13を付けた外国人野手という点である。背番号13は外国人、特にアメリカ合衆国出身の野球選手にとっては不吉な番号として知られており〔1931年にアメリカン・リーグが全球団に背番号を採用するよう通達した際に、「13番は避けるように」との一文があった程である。〕、中々外国人選手は付けようとしなかった。日本プロ野球では〜に初めてフレッド・リック(阪急)が、1962年途中にフランク・マニー(大毎)が背番号13を着用しているが、いずれも投手登録だった〔但し、リックは1962年に3試合、1963年に2試合一塁手として出場している。またデビューはリックの方が早かった(リックが6月13日の大毎戦、マニーが7月31日の阪急戦)。〕。大森以降は、のウォルター・ウィリアムス(日本ハム)まで背番号13を付けた外国人野手は現れなかった。またカープの背番号13は、大森以降43年間投手が着用した〔大森以前には投手以外で、川越亀二、上田利治、長尾辰雄と捕手が着用していた事もある。〕が、に堂林翔太が、内野手として久しぶりに背番号13を着用した(に7へ変更)。堂林以降は、キラ・カアイフエ(2013年〜)、ヘスス・グスマン(〜)と外国人野手が背番号13を着用している〔広島東洋カープ 背番号13 - 背番号Maniax 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロナルド大森」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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