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ロニー・エチソン(Ronnie Etchison、1920年5月6日 - 1994年3月14日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミズーリ州セントジョセフ出身。 生年月日は1917年、1920年、1924年〔説などがある。 == 来歴 == アマレスで活動後、20歳でプロレス入り〔。地元の中西部地区(後のセントラル・ステーツ・レスリング)や南部のジョージア地区(後のジョージア・チャンピオンシップ・レスリング)などを主戦場にし、また1948年にはモンタナ州のヘビー級王座になっている。 1950年代は西海岸のカリフォルニア地区を主戦場とし、1950年にはサンフランシスコ版のNWAパシフィック・コースト・ヘビー級王座を奪取した。 中西部地区では1951年1月にNWAミズーリ・ヘビー級王座を奪取、同月20日と3月23日にはルー・テーズのNWA世界ヘビー級王座に挑戦している。 タッグでもカリフォルニア地区にて、サンダー・ザボーとのコンビでNWAパシフィック・コースト・タッグ王座(サンフランシスコ版)やNWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版)などを獲得した。 1960年代にはカルガリーのスタンピード・レスリングにも進出、インターナショナル・タッグ王座やNWAカナディアン・タッグ王座(カルガリー版)を奪取。 日本には1961年5月、日本プロレスの第3回ワールドリーグ戦に来日、同年11月には「キング・オブ・マスク」なる白を基調とした覆面レスラーとして再来日、翌1962年1月19日の大阪大会では力道山の持つアジアヘビー級王座に挑戦、翌日の東京大会では赤を基調としたマスクマンのミスター・フー(正体は同郷のミズーリ・モーラーことロッキー・ハミルトン)との覆面コンビで力道山&豊登のアジアタッグ王座に挑戦した(ただし試合前にゼブラ・キッドに素顔を暴露されている)。 1973年8月には全日本プロレスの「ワールド・チャンピオン・シリーズ」に、ボボ・ブラジル、パット・オコーナー、ハーリー・レイスらと共に来日した。 引退後は地元でレフェリー〔やプロモーターを務め、プロレス業界を離れてからはバーテンダーをしていた〔。 また、トレーナーとしてマイク・ジョージやブッチ・リードらを育てた。 1994年3月14日、自宅にて老衰により死去〔。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロニー・エチソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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