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ロバート・D・フィッツジェラルド(、もしくは Robert Desmond FitzGerald、1830年11月30日 – 1892年8月12日)は、アイルランド生まれで、オーストラリアに移民した測量技師で、鳥類学者、植物学者である。オーストラリアの鳥類やランなどの植物をヨーロッパに紹介した。 ==略歴== アイルランド、ケリー州のトラリーで生まれた。コークのクィーンズ・カレッジ(現在のユニバーシティ・カレッジ・コーク)で土木学を学んだ後、オーストラリアに移住した。1856年にシドニーに到着し、国土局(Department of Lands)に製図係として雇われた。役人として働き、鉱山調査の長や教会や学校の管理を行った。個人の時間に鳥類研究家としての活動を行い、1850年代半ばに地元の雑誌に鳥類に関する記事を書いた。1864年にはニュー・サウス・ウェールズ州のウォーリス湖へ旅して、シダやランを採集し自宅で栽培した。ランへの興味は生涯続き、1869年と1871年、1876年にオーストラリア領の離島、ロード・ハウ島に渡り、ランの採集を行い、新種のランを発見した。フィッツジェラルドの名前がつけられた である。オーストラリアで多くの新種植物を発見した植物学者、フェルディナント・フォン・ミュラーとの間で交わされた手紙が残され、ビクトリア標本間に保管されている。 1875年から1882年に役所の同僚の版画家、アーサー・ジェームズ・ストップスと『オーストラリアのラン』("''Australian Orchids''")を出版した。この著書によって植物学の世界で有名になり、ジョセフ・ダルトン・フッカーによって高く評価された。 ''Dracophyllum fitzgeraldii'' の他、ラン科の種、などにも献名されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロバート・D・フィッツジェラルド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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