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ロバート・シェクリィ : ミニ英和和英辞書
ロバート・シェクリィ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ロバート・シェクリィ ( リダイレクト:ロバート・シェクリイ ) : ウィキペディア日本語版
ロバート・シェクリイ[ちょうおん]

ロバート・シェクリイRobert Sheckley, 1928年7月16日 - 2005年12月9日)は、アメリカ合衆国SF作家脚本家。シェクリィ、シェクリーの表記もある。1950年代にデビューした筆の早い作家であり、シニカルなアイディアの短編小説の名手として知られる。予測不能で不条理な作風で知られ、作品の多くはコミカルだった。
日本においては、『S-Fマガジン』創刊号に収録された短編「危険の報酬」が、のちにSF作家になった人々等に大きな衝撃を与え、本国アメリカでの評価以上に、人気作家となった。
そのひねくれたユーモアに満ちた作風のため、初めて翻訳された短編集『人間の手がまだ触れない』の刊行時に、“奇妙な味”と評された。
しかし、1970年代以降は新作が途絶えたこともあり、急速に忘れられた。
2001年、アメリカSFファンタジー作家協会から名誉作家の栄誉を授与された。
== 生涯 ==
ニューヨーク市ブルックリン区ユダヤ人の家に生まれた。1931年、一家でニュージャージー州メープルウッドに引っ越した。高校時代にサイエンス・フィクションに出会う。1946年、高校を卒業すると〔Maxine N. Lurie, Marc Mappen. ''Encyclopedia of New Jersey'', p. 736. Rutgers University Press, 2004. ISBN 978-0-8135-3325-4〕、ヒッチハイクでカリフォルニア州まで行き、庭師、プレッツェルのセールスマン、バーテン、牛乳屋、倉庫番、手作りネクタイ店の雑役夫など様々な職を転々とする。最終的に1946年のうちにアメリカ陸軍に入隊し、韓国へと送られた〔Jonas, Gerald. "Robert Sheckley, 77, Writer of Satirical Science Fiction, Is Dead" , ''The New York Times'', December 10, 2005. Accessed November 20, 2007.〕。陸軍では、衛兵、軍隊内の新聞の編集者、給与係員、バンドのギタリストなどを勤めた。1948年、除隊〔Robert Sheckley. ''Untouched by Human Hands'', p. 170. First edition, paperback. Ballantine Books 73, 1954.〕。
その後ニューヨーク大学に入学し、1951年に卒業。同年、最初の結婚をし、子供を1人もうけた。一時期、航空機工場で冶金作業員として働いたが、間もなく新たな展開を迎えることになった。1951年後半、最初の小説 ''Final Examination'' が『イマジネーション』という2流のSF雑誌に掲載され、作家としてデビューした。すぐに作家として頭角を現し、イマジネーション誌だけでなくギャラクシー誌などにも作品が掲載されるようになる。1950年代には、単行本が4冊出版された。短編集の『人間の手がまだ触れない』(1954年)、『宇宙市民』(1955年)、『地球巡礼』(1957年)と、長編の『不死販売株式会社』(1958年)である。
1956年離婚し、翌年2度目の結婚。それを期にグリニッジ・ヴィレッジに移り住んだ。1964年に生まれた娘アリサ・クイットニーも作家として成功している。評論家キングズリー・エイミスに絶賛され、シェクリイは巧みで風刺の効いた小説をPLAYBOYなどの一般誌にも掲載できるようになった。1960年代になるとSFだけでなくサスペンス小説も書くようになる。1960年代にはさらに数多くの短編集や長編が出版されており、初期の短編「七番目の犠牲者」を映画化した『華麗なる殺人』が1965年に公開された。しかし60年代はSFにもニューウェーブ運動が起こり、シェクリイ自身も自分のSFに違和感を覚え、SFからは遠ざかる。
1970年代になると主にイビサ島で過ごすようになった。2番目の妻とは1972年に離婚し、同年イビサ島で出会った女性と結婚。2人の子供をもうけている。その後ロンドンパリへと移住を繰り返し長編二本を書くが、評判にはならなかった。
1980年、アメリカに戻り、新たに創刊されたOMNI誌のフィクション部門の編集者となった〔Priest, Christopher. Obituary: Robert Sheckley. 〕。1981年、4番目の妻と結婚するとOMNI編集部を去ってヨーロッパ中を旅行して回り、オレゴン州ポートランドに落ち着き、そこで4番目の妻とも別れた。1990年には5番目の妻となる女性と結婚したが、女性の方から離婚している。シェクリイはSF、スパイ小説、推理小説を書き続け、ロジャー・ゼラズニイハリイ・ハリスンらとの共作も行ったが、時代も変わり作風も変わり、シェクリイの人気が戻ることはなかった。そのため映画のスピンオフ小説を書いて生活していたという。
2005年、国際的なSF作家のイベントに出席するためにウクライナに行き、そこで体調不良を訴え4月27日キエフの病院に入院した。一週間ほど重体となっていたが、徐々に回復していった。シェクリイの公式サイトでは、治療費とアメリカへの帰国のための募金が行われた。アメリカに帰国を果たすと娘たちの住むニューヨーク州ダッチェス郡北部の病院に入院した。11月20日には脳動脈瘤の手術を受けたが、2005年12月9日、ポキプシーの病院で亡くなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロバート・シェクリイ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Robert Sheckley 」があります。




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