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ロバート・フィルマー : ミニ英和和英辞書
ロバート・フィルマー[ふぃる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
フィル : [ふぃる]
 【名詞】 1. fill 2. (n) fill

ロバート・フィルマー : ウィキペディア日本語版
ロバート・フィルマー[ふぃる]

サー・ロバート・フィルマー英語:Sir Robert Filmer1588年頃 - 1653年5月26日)は、イングランド王国ケント・出身の政治思想家
1680年公判されたフィルマーの主著『(''Patriarcha'')』(日本語では『家父長論』などと訳される)は『旧約聖書』を典拠に、人類祖先であるアダムに対して家族子孫などを支配する権利を授け、その権利は代々の家父長に相続されていくのは王権もこの説に由来するとして絶対君主制の基礎付けとなり、王権神授説の代表的な文献となっている。
熱心な王党派ピューリタン革命が起こった際には絶対王権の擁護に努めたため、投獄邸宅の没収を何度もされた。余談だが、フィルマーは10回ほど邸宅の略奪にあったとされる。
== 生涯 ==
1588年頃、イングランド王国ケントのイースト・サットンにサー・エドワード・フィルマー(''Sir Edward Filmer'')とエリザベス・フィルマー(''Elizabeth Filmer'')の元に長男として生まれる。
1604年トリニティ・カレッジ入学するが学位は修得せず、翌年1605年にはリンカーン法曹院に通った。
1618年8月8日にアン・ヘトン(''Anne Heton'')と結婚。セント・レオナルド教会で挙式が行われ、後に3人の息子と1人の娘を育てた。
1629年11月に父のエドワードが亡くなると、フィルマーは父の財産を引き継ぎ、1630年代にはの役員として働いた。この頃より後の主著となる『パトリアーカ』を執筆し始めたとされる〔フィルマーとは - コトバンク、2014年4月1日閲覧。〕。
1641年にピューリタン革命が起きると熱烈に王党派としてイギリス国王チャールズ1世を支持したため1643年に投獄され、1647年までには釈放されたとされる。
1653年5月26日に亡くなる。
主な著書に1652年に書かれた『政府起源論』や『制限王政の無政府状態』(1648年)、『絶対王権の必要』(1648年)などがある〔いずれの訳は半田輝雄の訳に従った。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロバート・フィルマー」の詳細全文を読む




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