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リック・スタイナー(Rick Steiner、本名:Robert Rechsteiner、1961年3月9日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミシガン州ベイシティ出身。WCW、WWFなどで活躍した。 レスリング選手出身であることをキャラクターに活かし、スタジアムジャンパーとショルダータイツをコスチュームに、イヤーガードを付けたまま試合を行う。また、相手を投げる際にクラッチしやすいように指にテーピングをしていることが多い。 == 来歴 == ミシガン大学ではレスリングの選手として活躍し、1983年のビッグ・テン・カンファレンスでは第2位の成績を収めた。同じミシガン州出身のジョージ・スティールの紹介でミネソタ州のエディ・シャーキーのもとでトレーニングを積み、1984年にプロレスラーとしてデビュー。 ミネソタのAWA、カナダのモントリオール地区を転戦し、1986年よりビル・ワットが主宰するミッドサウス地区のUWFに参戦。翌1987年2月に新日本プロレスに初来日し、スティーブ・ウィリアムスと組んでIWGPタッグ王座決定リーグ戦に出場した。帰国後の4月には、若手ヒール時代のスティングとのコンビでUWF世界タッグ王座を獲得している。 ワットがNWAミッドアトランティック地区のジム・クロケット・プロモーションズにUWFを売却すると、スティングやジム・ロスらと共に同プロへ移籍。1987年末にマイク・ロトンドらと大学のレスリング・チームをモチーフとしたヒール・ユニット、バーシティ・クラブを結成するが、1988年9月に仲間割れしてベビーフェイスに転向。クロケット・プロがWCWに買収されてからは、1989年より実弟のスコット・スタイナーとのスタイナー・ブラザーズで活躍、同年11月にファビュラス・フリーバーズ(マイケル・ヘイズ&ジミー・ガービン)を下し、ミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座(後のWCW世界タッグ王座)を獲得した。 1991年3月、スコットとのスタイナー・ブラザーズとして新日本プロレスの東京ドーム大会に来日し、馳浩&佐々木健介からIWGPタッグ王座を奪取。以降も新日本に参戦し、1992年6月には日本武道館でビッグバン・ベイダー&クラッシャー・バンバン・ビガロを破り、同タッグ王座に返り咲いた。 1992年末、WCW新副社長ビル・ワットとの軋轢からWCWを離脱し、兄弟揃ってWWF(現WWE)へ移籍。引き続きタッグチームとして活動し、1993年6月にテッド・デビアス& IRSからWWF世界タッグ王座を奪取した。WWFではブレット・ハート&オーエン・ハートとの兄弟チーム対決も行われている。1994年のWWF退団後は、新日本プロレスやECW(レイヴェン&スティービー・リチャーズらと対戦)を経て、1996年にWCWへ再移籍した。 WCW復帰後もスコットとのタッグで活動し、ハーレム・ヒート(スティービー・レイ&ブッカー・T)やアウトサイダーズ(ケビン・ナッシュ&スコット・ホール)らと抗争していたが、1998年にスコットがnWoに加入しスタイナー・ブラザーズを解散、同時に兄弟抗争をスタートさせた。 2001年のWCW崩壊後はTNAやインディー団体を中心に活動。日本の団体への参戦も続け、2004年8月にはプロレスリング・ノアへ登場、池田大輔からWLW世界ヘビー級王座を奪取した。 2006年5月より再度TNAに出場。同年に予定されていたスコットとの兄弟チーム再結成は遅れるも、2007年5月に行われたPPV "サクリファイス" にてスコットの試合後に登場し、スタイナー・ブラザーズを復活させた。以降はチーム3Dと抗争を展開、ブードゥー・キン・マフィアことニュー・エイジ・アウトローズとも対戦している。 2008年1月4日、スコットと共に新日本プロレスに久々に来日。かつてIWGPタッグを奪取した東京ドームにて、ジャイアント・バーナード&トラヴィス・トムコが保持する同王座に挑戦した。同年にTNAを離脱し、現在はインディー団体を主戦場としている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リック・スタイナー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Rick Steiner 」があります。 スポンサード リンク
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