翻訳と辞書
Words near each other
・ ロビー・シアター・カンパニー
・ ロビー・シェイクスピア
・ ロビー・スレイター
・ ロビー・テイキャック
・ ロビー・ディーンズ
・ ロビー・トンプソン
・ ロビー・ナッシュ
・ ロビー・ニコルズ
・ ロビー・ネビル
・ ロビー・ネヴィル
ロビー・バレンタイン
・ ロビー・ピーデン
・ ロビー・ファインドリー
・ ロビー・ファウラー
・ ロビー・フラッド
・ ロビー・フランコ
・ ロビー・フルーエン
・ ロビー・ブライトウェル
・ ロビー・ブルックサイド
・ ロビー・ブレイディ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ロビー・バレンタイン : ミニ英和和英辞書
ロビー・バレンタイン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ロビー・バレンタイン ( リダイレクト:ロビー・ヴァレンタイン ) : ウィキペディア日本語版
ロビー・ヴァレンタイン[ちょうおん]
ロビー・ヴァレンタイン(Robby Valentine 1968年12月4日- 本名:Robert Marco Kempe)はオランダ出身のロック・アーティストである。
クイーンの影響を強く受けた、メロディアスかつシリカトリアルなロックサウンドを主体としており、とりわけ日本で高い人気を誇る。
== バイオグラフィー ==
オランダ・ヒルフェルスムに生まれる。幼少期より母親の影響で6才でピアノを習い始めると共に、テレビでクイーンのシンガー、フレディ・マーキュリーのパフォーマンスに強い影響を受け、8才にはギターを始める。そして14才で初めてのバンドを結成し、ミュージシャンとしての一歩を踏み出す。
1987年に、同じくオランダ出身でのちにホワイトスネイクに加入したことで知られるエイドリアン・ヴァンデンバーグが結成した4人組ロックバンド、ヴァンデンバーグのシンガーだったピーター・ストライクス率いるファースト・アヴェニューに加入するが、メンバーとの意見の相違から脱退。のちにソロアルバムのレコーディングを開始し、本格的活動を開始しようとしていた最中に、当時、オランダのポリグラム・レコードとディールを交わしていたジナトラに加入を打診され、同バンドの2作目となるThe Great Escapeに参加するが、程なくして脱退する。
1991年にシングルOver And Over Againでソロデビューし、母国オランダのナショナルチャートで上位にランクされるヒットとなり、また自身で全てインストゥルメンタルを弾いて創り上げたデビューアルバムRobby Valentineもヒット。1993年にはソロ2作目となるThe Magic Infinity も発売されると、輸入盤CD店での人気が高まり、1994年には日本国内でのデビューを果たすと、プロモーションとして国内主要都市6ヶ所でピアノの弾き語りを中心としたイベントを開催。同年9月にはこの時のプロモーションライブ音源とデモ曲を収録したLive&Demosを日本国内のみで発売し、また自身が音楽活動する際の名義もVALENTINEに改める(この他、1995年には同年1月に起こった阪神・淡路大震災の被災者へのチャリティCD、Hand In Hand(We Keep The Faith Together)も発表されている)。
1995年10月には3作目となるValentineを発表。翌1996年3月には初の来日公演をおこなう。そのままオランダへ戻り、当初同年10月発表予定だったソロ4作目の曲づくりを進めるが、思うように進まなかったため、刺激を得るべく、レコード会社の厚意で同年9月から10月まで大阪に滞在、そこで見たチャイコフスキーのピアノコンチェルトに大いに触発され、1997年6月にソロ4作目となるValentine4~United~を発表する。
しかしこの直前に父親を亡くしたことや、また日本国内では、こうしたメロディアスハードロックタイプのサウンドを好むリスナーが多数存在する土壌がある一方で、国外の音楽シーンは、当時R&B/Hip-Hop全盛時代にあったため、こうしたタイプのサウンドをクリエイトするバンド及びアーティストは世界的に不遇の状況にあり、アルバム契約が取れない、また新作を書き上げても、発表されずにオクラ入りする、というケースが相次いだため、同作品以降、日本のレコード会社(当時の契約元はポリドール)と直接的な契約を交わしての発表となった。
1998年9月にはソロ5作目となるNo Sugar Addedを発表。父を亡くした影響や、前作が神々し過ぎた内容の反省からか、デビュー作以来全てのインストゥルメンタルを1人で担当している。
2000年11月にはソロ6作目となるBelieving Is Seeingを発表。しかし世界的な音楽シーンはこうしたメロディアスハードロックを受け入れるだけの余裕はなく、これも日本のみでの発売となった。
2006年6月にはソロ7作目となるThe Most Beautiful Painを発表。翌2007年6月にはソロ8作目となるFalling Down In Misanthropolisを発表している。また2008年12月には初のベスト盤となるAndrogeniusを発表したが、こちらの作品については、内容的に賛否両論がある。
またこれと前後して、同じくオランダ出身のアーティスト、ヴァレンシアとコラボレーションしたアルバムV(Valensia/Valentine)1999年に、2作目となるValentine vs Valensia2002年にそれぞれ発表している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロビー・ヴァレンタイン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.