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ロベルト・カルロス・ダ・シウバ : ミニ英和和英辞書
ロベルト・カルロス・ダ・シウバ[かるろす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カルロス : [かるろす]
 【名詞】 1. Carlos 2. (n) Carlos

ロベルト・カルロス・ダ・シウバ : ウィキペディア日本語版
ロベルト・カルロス・ダ・シウバ[かるろす]

ロベルト・カルロス・ダ・シウヴァ・ローシャ(Roberto Carlos da Silva Rocha, 1973年4月10日 - )は、ブラジルサンパウロ州出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(サイドバック)、ミッドフィルダー(ウイングバック)。
現役時代は世界最高の左サイドバックと賞賛される〔「世界一のサイドバック」とは? ロベルト・カルロスが選ぶ歴代ベスト5 livedoorスポーツ、2011年2月7日〕と共に歴代最高の左サイドバックと評される1人であり、果敢な攻撃参加によりサイドバックの概念を変えた選手〔ロベルト・カルロス 歴史を変えた'98年の優勝 NumberWeb、2010年12月1日〕。1996年から2007年までスペインレアル・マドリードに所属し、「銀河系軍団」と称されるスタープレーヤー軍団の一員として、黄金期を支えた。その強力なキックは悪魔の左足と呼ばれる。日本では「ロベカル」の愛称で親しまれている。
== 経歴 ==

=== クラブ経歴 ===
3人の姉を持つ末っ子として生まれたロベルト・カルロスは、幼少期から父と共に働き貧しい家庭を支えた。自宅から20kmの距離にある繊維工場まで通うバス代が払えなかったため、いつも走って通っていた。また、少年時代は家から学校までの距離が十数キロあったらしいが、毎日走って通学していたという。このような環境であったため、ロベルト・カルロスは13歳までサッカーボールを蹴ったことすらなかった。地元のクラブであるウニオン・サンジョアンでキャリアをスタートさせ、1993年にパルメイラスへ移籍。直ちに頭角を現しジーニョエバイールらと共に1993年、1994年のブラジル全国選手権連覇に貢献した。この活躍によって1995年にイタリアのインテルへ移籍。インテルには1年間在籍したが、監督のロイ・ホジソンは彼を左ウイングの位置で起用する事を望み、左サイドバックでのプレーを望むロベルト・カルロスにとっては不本意なシーズンとなった。イタリアサッカーに順応できなかったロベルト・カルロスに対し、レアル・マドリードファビオ・カペッロが獲得を試み説得を行った〔。
1996年にスペインのレアル・マドリードへ移籍。11シーズン在籍し、通算512試合出場65得点を記録、リーグ通算370試合出場46得点を左サイドバックのポジションで記録した。10年近くの長きに渡り不動のレギュラーとして君臨し、非常に攻撃的なプレーで果敢にオーバーラップを仕掛け、左サイドからの高速グラウンダークロスにラウル・ゴンサレスがニアで飛び込む得点パターンは相手チームに脅威を与え、多くの得点を記録し数々のタイトル獲得に貢献した。クラブでは慢性的にサイドバックの層が手薄でありバックアップを務める選手が未熟だったこともあって、ロベルト・カルロスが欠場せざるを得ない試合は前述のような攻撃もなくなって攻撃力が大幅に低下してしまうことになり、その存在価値はクラブにとってとても大きなものであった。
2003年にフェルナンド・イエロクロード・マケレレという守備的な選手が移籍し、攻守のバランスが崩壊してからは彼の評価は無難なものになったが、それでも攻撃面では高いパフォーマンスを維持し続けた。2005年、ブラジル人FWロビーニョの入団後はクラブのEU外国籍の選手枠を空ける為にスペイン国籍を取得した。更にアルフレッド・ディ・ステファノを抜いてレアル・マドリードで最も多くの試合に出場した外国人選手となった。
2006年ドイツ・ワールドカップ終了後にブラジル代表を引退。以降はクラブチームでの活動に専念している。2007-08シーズンからは同郷のジーコが監督を務めていたトルコフェネルバフチェへ移籍し2年契約を結んだ。フェネルバフチェでの初試合でベシクタシュを下し、トルコスーパーカップを獲得した。2007-08シーズン終盤で怪我をしてしまい、フェネルバフチェは、ガラタサライとの優勝争いから脱落してしまう〔Fenerbahce´s Carlos set to miss rest of season soccerway.com、2008年4月17日〕。
2010年1月、ブラジルのコリンチャンスへ移籍し2年契約を結び、ブラジル代表やレアル・マドリードで共にプレーしたロナウドとチームメイトとなった。
2011年2月にコリンチャンスとの契約を解除し、ロシアのアンジ・マハチカラに移籍した(2年半契約、年俸500万~650万ユーロ)。守備的MFでのポジションでプレーし、3月8日以降はキャプテンも任された。
2011年9月、所属するFCアンジ・マハチカラの監督解任に伴い、選手兼任コーチに就任〔Coaches and staff アンジ・マハチカラ公式〕。2012年、現役引退を表明した〔rカルロス現役引退を表明 goal.com〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロベルト・カルロス・ダ・シウバ」の詳細全文を読む




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