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ロマン・スシュコ(Roman Suszko, 1919年11月9日 - 1979年6月3日)はポーランドの数学者、論理学者。ポドブジェに生まれ、ワルシャワで亡くなる。 集合論、意味論、数理論理学などの分野で活躍。息子は化学者のイェジ・スシュコ。弟子のボグスワフ・ヴォルニェビッチ(Bogusław Wolniewicz)の博士論文『物と事実』に影響を受け非古典論理の一種であるノン・フレーゲアンロジックを考案する。また多値論理を二値論理へと還元する代数的な手法、スシュコのテーゼ(Suszko's Thesis)を提唱する。20世紀のポーランドを代表する論理学者の一人。 ==経歴== スシュコはチェシン、クラクフ、ルヴフとポズナンの学校で学ぶ。占領下のクラクフにおいて、世話人、ポーター、電話番などとして働いていた。同時期にドイツによる占領下におけるポーランド人向けの学校で勉強していた。 1945年5月15日に「ポーランド論理学の成果」という論文を書き上げ、修士資格をえる。1946-52年の間、ポズナン大学でカジミエシュ・アイドゥキエヴィチ(:pl:Kazimierz Ajdukiewicz)が率いる数学・自然科学学部内の「科学の論理と方法論」学科で研究。1948年に博士課程に進み、1951年に「正準的な公理体系」を提出、口頭試問をへて博士号を取得。1953年にはワルシャワ大学の哲学部論理学科へ移り、1965年まで働いた。 1965年ポーランド国立科学アカデミーの哲学・社会学研究所へ移り、1966-69年まで論理学オフィスの主任を務める。67-69年、そしてさらに70-73年、アメリカに客員教授として招かれニュー・ジャージー州のホーボケン(Hoboken)にあるスティーブンス技術研究所(:en:Stevens Institute of Technology)で共同研究に勤しむ。1974-78年にシェドルツ(Siedlce)の農業教育高等学校で教える。 ヘビー・スモーカーであった。「レイス」(Rejs)というポーランドのナンセンス映画(ポーランド3大カルトムービーの一つ)に「髭男」役として出演したことでも知られている。登山愛好家でもあり、休暇には家族で山にバカンスへ向うこともあったが、バカンス先でも論理学を延々とやっていたそうである。指導においては厳格さと厳密さを旨とし、多くの後進を育てた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロマン・スシュコ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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