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ロマン・ポンサール(、1992年4月27日 - )は、フランス・パリ出身のフィギュアスケート選手(男子シングル)。 == 経歴 == 6歳でスケートを始め、エレーナ・イッサチェンコに師事を仰ぐ。イッサチェンコが亡くなった後は、ギレメッテ・アンセレに指導を受けるようになった。 2006-2007シーズンからは、ジュニアグランプリシリーズに参戦。2009年にアニック・デュモンにコーチを変更〔Discovering Romain Ponsart, hope of the tricolor skating 〕。2010-2011シーズンは世界ジュニア選手権に出場し17位だった。 2011-2012シーズンにシニアクラスへ移行。フランス選手権は足首の怪我のために欠場した。〔トリグラフトロフィーでは3位となり、シニアの国際大会で初めてメダルを獲得した。 2012-2013シーズン、エリック・ボンパール杯は当初エントリーがなされていたが出場を辞退。フランス選手権では3位となり、初めて表彰台に立った。世界選手権にフランスは3つの出場枠を持っていたが、派遣はされなかった。 2013-2014シーズン、国内大会のフレンチマスターズにて足首を骨折〔Sans Besseghier, ni Ponsart 〕。手術を余儀なくされ、シーズン全ての試合を欠場した。 2014-2015シーズン、ニース杯では9位。そのニース杯での点数が派遣基準を満たさなかったため、エリック・ボンパール杯の出場を取り消された〔Trophée Bompard à Bordeaux : les meilleurs patineurs sur la glace 〕。フランス選手権では自己最高の2位、メンターネスレネスクイックトルン杯では国際大会で初優勝した。それらの2大会でシャフィク・ベセギエの成績を上回ったが、欧州選手権と世界選手権への派遣はならなかった。 2015-2016シーズン、練習拠点をポワティエに移し、コーチをブライアン・ジュベールに変更した〔Career path takes Joubert to other side of boards 〕。しかし、エリック・ボンパール杯開催中、パリで練習したいポンサールと、ポワティエに留まりたいジュベールの間に考えの齟齬が生じ、師弟関係を解消した〔Joubert-Ponsart, c'est la fin 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロマン・ポンサール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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