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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ロマーノ・ムスマッラ(, 1956年7月21日 - )は、イタリア・ラツィオ州ローマ県ローマ出身の作曲家、音楽プロデューサー、ミュージシャン、タレントである。 1970年代のイタリアでソフトロック・バンドのラ・ボッテガ・デラルテ ''La Bottega dell'Arte'' のメンバーとして活動した後、1980年代以降は作曲家・音楽プロデューサーに転身。ヨーロッパではフレンチ・ポップスの作曲家として著名だが、日本では映画音楽の作曲家として知られている。近年はフランスおよびイタリアのバラエティ番組に出演することが多い。 1980年代にフランスに渡って作曲・プロデュースしたエルザ・ランギーニの歌う「哀しみのアダージョ」''T'en va pas''、ステファニー・ド・モナコが歌う「恋はセンセーション」''Ouragan''、ジャンヌ・マスが歌う「赤と黒」''En rouge et noir'' の3曲は、80年代のフレンチ・ポップスを代表する3曲として知られている。これらの楽曲は日本において、中森明菜、原田知世、石井明美、小田陽子、大貫妙子といった歌手によってカバーされた。 作曲家兼音楽プロデューサーとしてヒット曲を数多く生み出しながら、ミュージシャン出身者としてメディアに頻繁に露出し、従来の裏方的なイメージが強かった音楽プロデューサーにタレント性とブランド的価値を付加した。 日本ではロマーノ・ムスマラと表記されることもあるが、実際にはロマーノ・ムズマッラという発音が原音に最も近い。 == 経歴 == 1956年にローマに生まれ、9歳の時に同地の名門音楽学校サンタ・チェチーリア音楽院に入学し、音楽教育を受ける。入学後はフランコ・ロッシ、セルジョ・ペルティカローリ、ファウスト・ディ・チェーザレの教鞭のもとでピアノを学んだ。学年を重ねるとアルマンド・レンツィの教鞭によって作曲を、フランコ・フェラーラの教鞭によってオーケストラ指揮を学ぶ〔Biography 公式ウェブサイトのプロフィール(直接リンク不可能)〕。 音楽院を卒業後、クラシック音楽からポピュラー音楽に興味を移し、1975年にラ・ボッテガ・デラルテ ''La Bottega dell'Arte'' というバンドに参加〔Biography 公式ウェブサイトのプロフィール(直接リンク不可能)〕。当時ラヴ・ロックと呼ばれてイタリアで流行していたソフトロックを専門とするバンドとして''"Che dolce lei"'' や''"Bella sarai"'' などヒット曲を数多く送り出す。このバンドでムスマッラは作曲はもちろん、他のメンバーとのハーモニーによるボーカルおよび、ピアノ、フルート、ギターの演奏を担当した。ムスマッラの演奏スタイルは主にピアノの前に座って前奏をフルートで吹き、フルートを脇に置くとピアノを弾きながら歌うという形が多く、場合によってはピアノを離れてギターを演奏しながら歌うこともあるというスタイルであった。これはアカデミックな音楽教育を受けたムスマッラだからこそ可能なバンドのスタイルであった。 バンド活動と並行してムスマッラはフレッド・ボングスト、アリダ・ケッリ、フランコ・カリファーノ、ニーノ・カステルヌオーヴォといったイタリアの有名歌手への楽曲提供を行う。また、エレクトロ・ポップにも関心を示し、『悪魔のはらわた』(1974年)や『処女の生血』(1974年)の映画音楽で知られるクラウディオ・ジッツィとともに''"Automat"'' というエレクトロ・ポップのインスト・アルバムを1978年に発表している〔Biography 公式ウェブサイトのプロフィール(直接リンク不可能)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロマーノ・ムスマッラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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