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ロレンツァ・マッツェッティ(Lorenza Mazzetti、1928年 - )はイタリアの小説家。自らの悲劇的な幼少期をベースにした、1961年出版の小説『ふたりのトスカーナ』で知られる。1950年代、英国ロンドンの映画運動「フリー・シネマ」の創始者のひとりとして知られる映画作家でもある。 == 来歴・人物 == 1928年、イタリア・トスカーナ州フィレンツェに生まれ、非常に幼くして孤児になり、2人の娘を持つ伯父と伯母に育てられた。1944年8月3日、SS(ナチス親衛隊)に伯母と2人の従姉妹を殺された。伯父は1年後に自殺した。 1950年代初頭、マッツェッティは英国ロンドンに移住し、ロンドン大学スレイド美術学校(Slade School of Art)に学ぶ。スレイド校でつくった短篇映画の力強さに、英国映画協会実験映画ファンドは、ロンドンのイーストエンドの2人の聾唖者についての映画である『''Together''』をつくる機会を賞として授与した。カレル・ライスとトニー・リチャードソンの共同監督作『''Momma Don't Allow''』とリンゼイ・アンダーソン監督の『オー・ドリームランド (''O Dreamland'')』とともに、最初の「フリー・シネマ」の一部として、1956年2月5日、国立映画劇場(NFT、現:BFIサウスバンク(BFI Southbank))で上映されたあと、3作すべてが同年の第9回カンヌ国際映画祭で上映されることとなった。 マッツェッティは1959年にローマに移住、そこでもイタリア放送協会(RAI TV)のためにテレビ番組をつくりつづけた。1960年代初期にチェザーレ・ザヴァッティーニが監修した2本のオムニバスに参加、どちらも当時日本でも公開されている。 1961年に発表した自伝的小説『''Il Cielo cade''(天が落ちてくる)』で翌1962年のヴィアレッジョ賞(Viareggio Prize)を受賞〔数多くのサイト、たとえば「Cinemaitaliano.info 」などに受賞の記述がみられる。しかし英語版Viareggio Prizeと伊語版Premio Viareggioとの受賞者リストには、マッツェッティの名がみつけられない。〕。同作を含めた三部作を著わすことになる。その後「お花畑の人形劇場 ''Il Puppett Theatre di Campo de' Fiori''」を設立、現在もローマに在住。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロレンツァ・マッツェッティ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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