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論陣
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ロンジン(''Compagnie des Montres Longines Francillon SA''、Longines)とはスイスの時計メーカーである。 会社名はフランス古語で「花溢れ小川流れる野原」との意。ロゴは「翼の砂時計」。 かつてはチャールズ・リンドバーグをアドバイザーとした航空航法機能を搭載した腕時計の開発、世界初のフライバック機能〔クロノグラフ計測中に計測を停止せずに、クロノグラフ針をゼロ位置に戻せる。〕の開発など高い技術を持ち、クロノグラフのキャリバーを自社生産していたマニュファクチュールであった。 当時の主力キャリバー12.68Z、フライバッククロノグラフキャリバー13ZN、フライバッククロノグラフキャリバー30CH等は現在でも市場で評価が高い。また軍用時計も数多く生産し、特に第二次世界大戦期のイギリスには2番目に多く時計を納入したブランドである。 しかしクォーツショックなどで経営状態は悪化。現在はスウォッチ・グループ傘下でエタのムーブメントを入れた時計を製造している。 同社の懐中時計はアルベルト・アインシュタインが愛用していたほか〔湯本博文編『大人の科学マガジン』8号、学習研究社、2007年、9頁〕、芥川賞と直木賞の正賞(賞金は副賞)の懐中時計も同社製である〔戦中戦後の一時期はセイコーが担当していた。〕。 北米の代理店がウィットナーであり、さらにはキャリバーの状態で輸出してウィットナーがケースに入れて販売された個体も多い。 == 沿革 == *1832年 - オーギュスト・アガシによりアガシ商会が設立される。 *1867年 - オーギュスト・アガシの甥であり後継者であったエルネスト・フランシヨン(''Ernest Francillon'' )がスイスのシュズ河畔ロンジンに工場を作った。パリ万博に出展したロンジン最初の懐中時計が銅メダルを受賞した。 *1873年 - ウィーン万国博覧会で優秀賞を受賞。 *1879年 - この年から20年間にわたりヌーシャテル天文台より精度記録を受賞。 *1885年 - この年からイギリス、キュー=テディントン天文台(''King's Observatory'' )のコンクールに参加し通算で141回の受賞を得ている。アントウェルペン万国博覧会で初のグランプリ受賞。 *1889年 - ロゴ「有翼の砂時計」をスイス特許局に登録した。パリ万国博覧会で2度目のグランプリを受賞。 *1896年 - 近代オリンピック第1回となるアテネオリンピックにストップウォッチを提供した。 *1900年 - パリ万国博覧会で4度目のグランプリ受賞。 *1908年 - ボードクロノメーター及びポケットクロノメーターによって、ヌーシャテル天文台よりシリーズ賞受賞。 *1923年 - FAI(国際航空連盟)とNAA(アメリカ航空協会)のオフィシャルウォッチにロンジンが採用される。 *1925年 - パリアールデコ博覧会でグランプリ受賞。 *1929年 - バルセロナ万国博覧会で通算10回目のグランプリ獲得。ツェッペリンの世界一周旅行のナビゲーションとしてロンジンが採用された。 *1930年 - チャールズ・リンドバーグの大西洋無着陸単独飛行の公式計測時計としてロンジンのクロノメータが使用された。 *1931年 - チャールズ・リンドバーグ考案の「アワーアングルウォッチ」を発売。 *1932年 - アメリア・イアハートがロンジンの時計を使用し大西洋単独飛行に成功した。 *1933年 - フォーミュラ1になる前のブラジルグランプリの計時を担当した。 *1947年 - フライバッククロノグラフキャリバー30CH開発。 *1967年 - 10振動毎秒のCal.L431を搭載したウルトラクロンコレクションが発売開始。 *1972年 - ユンハンスとともにミュンヘンオリンピックの公式計時を担当した。オメガと共同で計時専門会社スイス・タイミング〔現在はオメガの直接の子会社。〕を設立。 *1987年 - チャールズ・リンドバーグ考案の「アワーアングルウォッチ」を自動巻モデルとして復刻。パリのウォッチ・オブ・ザ・イヤーに輝いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロンジン」の詳細全文を読む
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