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ロンドン山中商会(ロンドンやまなかしょうかい、Yamanaka & Co., London)は、イギリスロンドンに存在した大阪の美術商山中商会の支店。1900年山中六三郎により開業し、を受けるなどしたが、第二次世界大戦により閉店した。アメリカ合衆国の3支店と異なり、法人化はされなかった。 == 歴史 == すでにニューヨーク山中商会、ボストン山中商会を構えていた山中商会は、アメリカに需要の乏しい陶磁器類の販路を拓くため、1900年ロンドンに山中六三郎を派遣し、ニュー・64-68番地に支店を開き、1910年頃127番地に移転した。 1919年12月1日ジョージ5世、1920年2月10日メアリー王妃よりを受けた。 1933年頃166番地、1936年デイヴィス・ストリート20番地に移転した。 1935年ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで行われた「中国展」では、東京日英協会英国国際支那美術展覧会出品委員会に一切の事務を委嘱され、宮内省、帝室博物館、京都帝国大学、根津嘉一郎、岩崎小弥太、住友吉左衛門等から展示品を斡旋した。 1939年9月ナチス・ドイツ軍のポーランド侵攻を受けて、支店長井上久四郎は店員高橋喜次郎等を帰国させた。1940年6月14日パリ陥落を受けて日本人の撤退を諮ったが、大阪本社から避難命令までの滞在を命じられ、留まった。1940年9月7日にはロンドン大空襲が始まり、11月井上は店を閉めて日本郵船伏見丸で脱出し、1941年1月8日横浜港に帰国した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロンドン山中商会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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