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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ロナルド・エイムズ・ギドリー(Ronald Ames Guidry, 1950年8月28日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手。アメリカ合衆国ルイジアナ州ラファイエット出身。ニックネームは「Louisiana Lightning」,「Gator」。 == 経歴 == のMLBドラフトでニューヨーク・ヤンキースから3巡目に指名を受け入団。はAAA級で6勝5敗14セーブ・防御率2.90を記録してメジャーに昇格し、7月27日のボストン・レッドソックス戦でメジャーデビュー。は開幕をマイナーで迎えたが、好成績を残して昇格。しかし初登板で滅多打ちに遭いすぐに降格。マイナーでは5勝1敗9セーブ・防御率0.68を記録し、8月に再昇格するが目立った成績は残せなかった。チームは地区優勝し、カンザスシティ・ロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズではロースター入りを果たす。登板機会はなかったが第4戦で代走として出場した。この間にチームメイトでクローザーのスパーキー・ライルのスライダーに注目し、これを習得する。のスプリングトレーニング中、オーナーのジョージ・スタインブレナーの意向でトレード要員になるが、ゲイブ・ポールGMが「大成する可能性がある」と言って制止する。開幕当初はリリーフでの起用だったが、5月中旬から先発ローテーション入りし、6月16日のロイヤルズ戦でメジャー初完封。後半戦で8連勝を含む10勝を挙げ、16勝7敗・防御率2.82を記録し、チームの地区連覇に貢献。前年に続きロイヤルズとの対戦となったリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦に先発し、2失点完投勝利。最終第5戦では3回途中で降板するが、チームは9回に逆転して勝利しリーグ連覇を果たす。ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは第4戦に先発し2失点完投勝利。チームは4勝2敗で15年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。 は初の開幕投手を務め、6月17日のカリフォルニア・エンゼルス戦で左腕投手としてのメジャー記録となる18奪三振。開幕から13連勝を記録し、オールスターゲームに初めて選出される。チームは一時レッドソックスに最大14ゲーム差を付けられるが9月に逆転。シーズン最終戦で同率で並ばれるが、ワンゲームプレーオフで先発して7回途中2失点で勝利投手となるなど25勝3敗・防御率1.74・248奪三振、いずれもリーグトップの勝率.893・9完封・WHIP0.95の好成績で最優秀防御率・最多勝の二冠を獲得し、地区3連覇に大きく貢献する。3年連続でロイヤルズとの対戦となったリーグチャンピオンシップシリーズでは第4戦に先発し、8回1失点の好投で勝利投手となり、リーグ3連覇を果たす。ドジャースとのワールドシリーズでは連敗後の第3戦に先発し、7四球を与えたものの1失点完投勝利。チームはその後3連勝でシリーズ連覇を達成した。オフにサイ・ヤング賞を満票で受賞し、MVPの投票でもジム・ライスに次ぐ2位に入った。は6月に故障者リスト入りするなど前半戦は6勝に留まるが、後半戦で11連勝を含む12勝を挙げるなど18勝8敗・防御率2.78・201奪三振を記録し、2年連続の最優秀防御率を獲得した。は4月は勝敗なしだったが5月に5連勝。17勝を挙げてチームの2年ぶりの地区優勝に貢献。4度目の対戦となったロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発したが3回4失点で敗戦投手となり、チームも3連敗で敗退した。は50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮されて前後期制の変則日程となる。ストライキ明けから6連勝するなど後半戦で防御率1.74を記録し、11勝5敗・防御率2.76の成績でチームは前期優勝。ミルウォーキー・ブルワーズとのディビジョンシリーズでは第1戦と第5戦に先発したが、共に5回を投げ切れない不本意な内容。リーグチャンピオンシップシリーズでは登板機会はなかったが、チームは3年ぶりのリーグ優勝。ドジャースとのワールドシリーズでは第1戦に先発し7回1失点で勝利投手。第5戦では6回まで無失点も7回にペドロ・ゲレーロ、スティーブ・イェーガーに連続本塁打を浴びて逆転を許し敗戦投手。チームは2勝4敗で敗退した。オフにフリーエージェントとなるが再契約。 は3年ぶりのオールスターゲームに選出され、14勝8敗・防御率3.81を記録して初のゴールドグラブ賞を受賞し、以後4年連続で受賞する。は後半戦だけで14完投を記録するなど21勝9敗・防御率3.42、リーグ最多の21完投の成績。8月7日のシカゴ・ホワイトソックス戦で9回に3者連続で3球三振を記録し、リーグ史上8人目、メジャー史上20人目の快挙を達成。しかしその後故障で1ヶ月離脱し、10勝11敗・防御率4.51と初の負け越し。は4月は1勝3敗だったが、5月から12連勝。22勝6敗・防御率3.27を記録し、2度目の最多勝を獲得。サイ・ヤング賞の投票ではブレット・セイバーヘイゲンに次ぐ2位。3月4日にウィリー・ランドルフと共に副キャプテンに就任。しかし同年腕を痛め、途中7連敗を喫するなど9勝12敗に留まる。オフに再びフリーエージェントとなり、5月1日に再契約。終盤故障で離脱するなど22試合の登板で5勝に終わる。は僅か2勝に終わり、フリーエージェントとなってマイナー契約を結ぶが、はマイナーでも結果を残せず、7月12日に現役引退を表明した。通算170勝は球団史上4位、1778奪三振はホワイティ・フォードに次ぐ2位。通算勝率も引退当時はフォードに次ぐ史上2位であった。 引退後はヤンキース傘下のマイナーで投手コーチなどを務める。8月23日に背番号『49』が球団史上16番目の永久欠番に指定された。ヤンキー・スタジアムのモニュメント・パークにレリーフが設置され、そこには「圧倒的な投手で、信頼の厚いリーダー」「真のヤンキースの一員」という文字が刻まれている。式典にはモニュメント・パークに自身のレリーフが設置されていて、当時存命していた永久欠番選手のフィル・リズート、ヨギ・ベラ、フォード、レジー・ジャクソン、ドン・マッティングリーの5名が出席した。投手ではフォード以来2人目の欠番で、現在16あるヤンキースの永久欠番の中では最も大きい数字である。にメル・ストットルマイヤーの後任として、ヤンキースの投手コーチに就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロン・ギドリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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