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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ロン・スター("Rotten" Ron Starr、本名:Robert Eugene Nutt、1950年4月3日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。アラバマ州モービル出身。 元NWA世界ジュニアヘビー級王者。アメリカ西海岸や深南部、カルガリー、プエルトリコなどのローカル・テリトリーを主戦場に活動し、日本には新日本プロレスに度々参戦した。 == 来歴 == デビュー後はボビー・スターのリングネームで活動。1973年よりロン・スターと名乗り、ジョージア、フロリダ、ミッドアトランティック地区などを転戦し、若手のベビーフェイスとして前座試合に出場〔。ミッドアトランティックではボリス・マレンコ、ブルート・バーナード、ジェリー・ブラックウェル、ミスター・フジ、ミシェル・デュボア、ラリー・シャープらと対戦し、スティーブ・カーンともタッグを組んだ。 1976年2月、新日本プロレスに初来日。その後、ミッドサウス・エリアを基盤としていたNWAのトライステート地区に入り、12月2日にルイジアナ州ニューオーリンズにてパット・バレットからNWA世界ジュニアヘビー級王座を奪取。4日後の12月6日にオクラホマ州タルサにてネルソン・ロイヤルに敗れ短命王者に終わったものの、ジュニアヘビー級選手としてのステータスを高め、1978年3月の新日本プロレスへの再来日ではWWFジュニアヘビー級王者の藤波辰巳と再三対戦した(しかし、タイトルへの挑戦権は同時来日していたカネックに奪われた形となり、メキシコ人への差別意識も相まって、他の外国人選手と共謀してカネックをリンチしたとされる〔『Gスピリッツ Vol.19』P42-43(2011年、辰巳出版、ISBN 4777808920)〕)。 2度目の日本遠征からの帰国後はサンフランシスコ地区で活動、ディーン・ホーやエンリケ・ベラをパートナーにバディ・ローズ&エド・ウィスコスキーと同地区版のNWA世界タッグ王座を争った。翌1979年3月3日にはトーナメントの決勝でロディ・パイパーを下し、空位となっていたUSヘビー級王座を獲得。パイパーとは太平洋岸北西部でも抗争を続け、4月3日にアドリアン・アドニスと組んでパイパー&キラー・ブルックスからNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を奪取している。同年下期からは中西部のセントラル・ステーツ地区に参戦、9月17日にボブ・スウィータンを破りNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座を獲得した。 1980年2月11日、古巣のトライステート地区にてレス・ソントンを下し、前王者ネルソン・ロイヤルの引退で空位となっていたNWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得、2度目の戴冠を果たす〔。この時期より主にヒールとして活動するようになり、ロサンゼルスでは本家のドン・ジャーディンにあやかった覆面レスラーのザ・スポイラー2号に一時的に変身し、4月18日にチャボ・ゲレロからNWAアメリカス・ヘビー級王座を奪取。素顔に戻ると、6月6日にボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑み、8月8日にはジ・アサシンと組んで日本から遠征してきた坂口征二&長州力の北米タッグ王座に挑戦した。同年9月の新日本プロレス参戦では、日本武道館にて藤波辰巳のWWFジュニアヘビー級王座に初挑戦している。 1983年は地元アラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングにて、ランディ・ローズやウェイン・ファリスと組んで活動。ボブ、スコット、ブラッドのアームストロング・ファミリーと抗争を展開した。翌1984年からはカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングに参戦し、3月2日にサニー・トゥー・リバーズから英連邦ミッドヘビー級王座を奪取。戴冠中はフィル・ラフルールらの挑戦を退けている。カルガリーではKYワカマツがマネージャーを務め、バッドニュース・アレンとも共闘。ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミス、ブレット・ハートらと抗争を繰り広げた。 1986年よりカルロス・コロンの主宰するプエルトリコのWWCに進出。9月19日にトーナメントの決勝でインベーダー1号(ホセ・ゴンザレス)を破り、WWC認定の初代TV王者となった。以降、1980年代後半はWWCを主戦場に、血縁ギミックのチッキー・スターとのタッグチームなどで活動。1987年11月と1988年8月には新日本プロレスに久々に来日した。1989年はカナダのマリタイム地区にも参戦し、7月20日にレオ・バークからインターナショナル・ヘビー級王座を奪取している。 1990年代初頭もプエルトリコでの活動を続け、キューバン・アサシンと組んで傭兵スタイルに変身し、マーク・ヤングブラッド&クリス・ヤングブラッドのレネゲード・ウォリアーズなどとWWC世界タッグ王座を争った。1990年8月25日にはウラカン・カスティーヨ・ジュニアを破り、WWC世界ジュニアヘビー級王座を獲得。10年半ぶりとなるジュニアヘビー級王座戴冠を果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロン・スター」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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