|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country ・ 国際 : [こくさい] 【名詞】 1. international ・ 際 : [さい] 1. (n-adv,n) on the occasion of 2. circumstances
ローザンヌ国際バレエコンクール ()は、スイスのローザンヌで毎年行われる、15歳から18歳までのバレエダンサーを対象としたコンクールである。スイスの非営利法人である舞踊振興財団(Fondation en faveur de l'Art chorégraphique)によって1973年から開催されている。 ヴァルナやモスクワなどの旧来のバレエコンクールとは異なり、若手ダンサーにキャリア形成につながる道筋を開くことを目的に掲げている〔Our mission 〔公式サイト〕〕。このため世界の著名なバレエ学校33校〔Partenaires (Écoles) 〔公式サイト〕〕およびバレエ団32組織〔Partenaires (Compagnies) 〔公式サイト〕〕と提携しており、主たる賞であるローザンヌ賞(賞の節を参照)でこれらに無償で留学・研修することのできる権利を生活支援金とともに授与している。 歴代の受賞者の多くがプロとして活躍していることから、若手バレエダンサーの登竜門の一つと考えられてきた。 == 沿革 == スイスの実業家フィリップ・ブランシュワイグは、妻エルヴィ・クレミスがバレエダンサーだったことからモーリス・ベジャールやロゼラ・ハイタワーと長年親交があり、ベジャールの20世紀バレエ団の公演をラ・ショー=ド=フォンで実現するなど興行師としての実績があった〔Braunschweig, Philippe, ''Un double destin: de l'horlogerie à la danse'', Favre, 2012, ISBN 978-2-8289-1252-9, pp.12-13.〕。1969年、ローザンヌにおける舞踊公演の促進を目的とする舞踊振興財団が設立されると、設立に関与したG・クライネルトはブランシュワイグにも参加を求めた〔''ibid'', p.190.〕。1970年に同財団の理事となったブランシュワイグは、舞踊の世界では個々のダンサーが声楽家など他の領域の芸術家に比べて経済的に不利な立場に立たされている実情を知っていたため、ダンサーを支援する最善の方法を求めて、1972年初頭から知己のベジャールとハイタワーに相談した〔''ibid'', p.192.〕。その結果、若手ダンサーに世界的に知名度のあるバレエ学校で学ぶ権利を賞として授与するコンクールをローザンヌで創設することを決意した。 レッスン審査を含む予選と、準決戦・決戦の合計3段階で絞り込む選考方法はブランシュワイグ夫妻がハイタワーと相談して決定した。さらに入賞者の留学の受け入れ先として、当時ブリュッセルにあったベジャールのムードラ・バレエ学校、カンヌのハイタワーの学校、さらにロンドンのロイヤル・バレエ学校の3校に協力を求めて賛同を得た〔''ibid'', p.193.〕。第1回のコンクールは1973年1月19-21日にローザンヌ市立劇場で実施された〔。当時の参加年齢は15-19歳で、参加者はクラシック・ヴァリエーションと、コンクール用に新たに振付けたフリー・ヴァリエーションを1曲ずつ準備して参加するというものだった。 第3回(1975年)からは実施会場がローザンヌのボーリュ劇場となり、提携校も次第に増やされていった。その後コンクールとしての国際的な知名度を高めるため、例外的に1985年にはニューヨーク、1989年は東京、1995年はモスクワで決選が開催された〔Our History 〔公式サイト〕〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ローザンヌ国際バレエコンクール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|