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赤色戦線戦士同盟(せきしょくせんせんせんしどうめい、, 略称 Rote Front または RFB)は、ヴァイマル共和政時代のドイツ共産党が保有していた準軍事組織〔この時代のドイツでは政党・政治団体が独自の警備部隊を持ち、対立勢力と武力闘争を行ったり、相手の集会やパレードに威力妨害を仕掛けることはごく一般的なことであった。これらの警備部隊の中で最も有名で強大であったのはナチ党の突撃隊であったが、それ以外の政党・政治団体も規模や程度の差はあれ同様の組織を保持していた。〕。 == 沿革 == 公式に設置されたのは1924年7月18日である〔この日付以前にも共産党系の警備部隊は存在していたが、党全体として統一した組織化はなされていなかった〕。退役軍人による準軍事組織鉄兜団とドイツ社会民主党(SPD)の準軍事組織国旗団に対抗して創設された〔フレヒトハイム(1971)、p.181〕。 最初の隊長となったのはのちにドイツ共産党の党首となるエルンスト・テールマンである。ヴィリー・レオヴ(:de:Willy Leow)がその参謀長を務めた〔フレヒトハイム(1971)、p.182〕。隊員数は1926年には11万8000人、1927年には12万人、1928年には10万1000人だったという〔。 ナチ党の突撃隊(SA)と似た役割をドイツ共産党の中で果たした。すなわち共産党員の活動をボディーガードし、一方ナチ党などの敵対政党の集会を実力で妨害し、また街頭においてナチ党の突撃隊員と激しい闘争をしていた。赤色戦線戦士同盟の隊員たちは "Rote Front!"(赤い戦線!)または "Heil Moskau!"(ハイル・モスクワ!)と叫び、右手の握りこぶしを掲げる敬礼を行っていた。 はじめは社民党の国旗団との抗争が多かったが、後にはナチ党の突撃隊や鉄兜団など右派の準軍事組織との抗争に力を入れるようになった〔。赤色戦線戦士同盟は1925年から毎年聖霊降臨祭に際して「赤色聖霊降臨祭集会」と称してベルリンで行進を行った。この行進は好評を博し、共産党の党勢拡大に大きな力となっていた〔。 機関紙『赤色戦線』(''Die Rote Front'') を発行していた。下部組織に「赤色海軍」(Rote Marine)、「赤色青年戦線」(Rote Jungfront)、「赤色婦人および少女同盟」(Rote Frauen- und Mädchenbund(RFMB))などが存在した。 しかし赤色戦線戦士同盟は突撃隊と比べると街頭闘争の戦術が硬直しており、殴り合いばかりに興じたため、突撃隊以上に当局から危険視されていた。そのため何度も禁止命令を受けた〔桧山(1976)、p.112〕。1929年5月にプロイセン州内務省から活動を禁止されて解散に追い込まれた。 ドイツの政党の警備部隊としては突撃隊に匹敵する規模の勢力であり、最盛期には突撃隊との抗争で双方に数百人の死傷者を出したとも伝えられる。しかし、ナチ党政権下で共産党は非合法化され、党員たちは経歴を抹消するために関連資料などを処分してしまったために詳細は現在も不詳な部分が多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤色戦線戦士同盟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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